2017年12月22日金曜日

暴力は遺物の存在、いらないものにしたいこと

 このところテレビのワイドショーは、相撲協会の暴力騒動に乗っ取られて、北朝鮮の報道が後景になってきた。北朝鮮が核実験やらミサイルを打ちあげるたびに、そのニュースでテレビ画面を独占状態にする。そのときに首相がテレビに現れて、北朝鮮の行為に許せないことと「かっこよく」話す。たしか、モリカケ問題が国会で追及されてからは、ぶら下がり記者会見には応じることをやめていたことだったはずなのに。

 そんなことを考えると、北朝鮮が助っ人で現れるがごとき様相だと言いたくなる。きっかけは北朝鮮の無節操な武器示威行動だし、アメリカ大統領の一貫した「挑発」言辞ツイッターが輪をかけて危機を煽りたてる。ここにきてようやく「対話」の動きが伝えられて、何とかその方向に動いていけばと少し安心する。しかしこの状況を最大限利用して、憲法を変えて日本が戦争のできる国に変えてしまおうとする動きと、北朝鮮との「対話はしない」という政府の態度は危険な方向の選択だ。 

 相撲界の暴力事件は、暴力的指導をよしとする封建時代のあり様を引きずる。他のスポーツ界では克服する手は打たれているのに、なくせない甘さが角界に巣くっている。人権や民主主義をわきまえない、つまり憲法の精神を適用できない社会構造への警鐘としなくてはならないのではないか。言ってみれば、軍隊の組織維持の方法としての「暴力」が表で大手を振って歩き出すようなことになってはならない。

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