2016年6月9日木曜日

月刊誌世界 6月号特集「死の商人国家になりたいか」を読んで

「世界を読む会」に今回は参加できなかったので、感想を会のページ(Facebook)にアップしようとパソコン打ち始めたら、「死の商人」は最初のワードに出てこず「詩の証人」と出てきた。最近の変換技術はずっとよくなっているから、この次打つときにはでてくるだろうけど。しかし今トップで出てきてほしい言葉だと、「死の商人になりたいか」を読んで思った。第一「戦力」でなく「実力」であり、武器や兵器のことを「防衛装備」と呼ぶし、武器を海外に輸出することは「防衛装備移転」と表現するという書き出しは、なるほどと思うよりハッとした。
 
河野洋平のインタビューで、「ヒロシマでG8の議長会議」を開催し、アメリカの下院議長を説得してヒロシマに来てもらったという話は、かつての自民党政権でもでもやったということで、いまの政権との対比で考えさせられた。同時に「原発資料館に行って展示物を見、被爆者との対話もした」とのことで、今回のオバマ大統領の広島訪問との伏線となったのだろうかという気がした。

 「国策化する武器輸出」(望月衣塑子)は、武器産業の思惑と動きを教えてもらった。こういう書き手がいるのは救われる感じがした。日本の兵器産業は「様子見」もあるにしても、トップセールスで誘導してしまえば、動かされていくのだろう。昨年の東大総長挨拶がNETを駆け巡ったのを思い出した。(東京大学における軍事研究の禁止の原則について一般的に論じるだけでなく、世界の知との自由闊達な交流こそがもっとも国民の安心と安全に寄与しうるという基本認識を前提とし、そのために研究成果の公開性が大学の学術の根幹をなすことを踏まえつつ、具体的な個々の場面での適切なデュアル・ユースのあり方を丁寧に議論し対応していくことが必要であると考える。…

 

高遠菜穂子の「イラク戦争からのはじまった問題意識」からのスタート、体験の積み重ねからの実感と、現場から見る戦争や武器の「移動」の話も、リアルな感じを持った。「武器は人を守る道具でない、人を殺める道具だ」は教訓的な言葉だ。