2015年12月29日火曜日

岩手山麓の豆腐づくり・大豆の会

 急な話で、豆腐を造る講習会があるから行ってみないかと誘われた。「造る」よりは、写真を撮るのにいいんじゃないかという言葉にはまった。岩手山麓の仙人の家から車ですぐのところだというので、豆腐を分けてもらいに行くついでに、便乗させてもらった。近所のR子さんが「大豆の会」に加わっているということで、写真を撮らせてもらうという話は直につながった。ものの数分も走らないで現場についた。入り口を開けると、10人ほどの人たちが、豆腐を造りあげるまでの工程に動き回っていた。

 会釈で挨拶は済まさせてもらって、すぐに撮影に入った。豆腐の香りと湯気が部屋いっぱいに漂っている。予備知識はないのだが、火おこしやら窯から上げるところ、絞る・固める・詰めこむなどの所作を見ながらたくさんのポイントを撮った。

 外は氷点にちかい気温で、大きくはない部屋は白い蒸気が始終湧き上がって、窓から見える雪に溶け込んでいくかのようだった。岩手山麓に吹き降ろす乾いた粉雪と、豆腐づくりの熱気で温まった部屋の趣は、寒さに抗する人の心のようだ。暖かな心持を分けてもらい、そのうえ出来立てのお土産までもらってしまった。テーブルでちょっと醤油をかけて口に運びながら、残っている豆腐のぬくもりを楽しませてもらった。


 先日のデジタルカメラ研究会で、パソコンによる写真集が簡単にできることが分かったので、東京に帰ってから造ることにした。初春の課題も手に入れることになった。












2015年12月28日月曜日

岩手山のビューポイント発見

 昨日から岩手山麓に来ている。もう雪が降っているとあらかじめ教えてもらったので、東京の不可解な天候を基準にすることなく、冬の支度をがっちりすて出かけてきた。山麓は確かに粉雪が風に押されて舞い上げられている。重たい雪だと汚れも目立つが、氷点下0度前後で乾燥した風だから、雪が解けるのは車がしょっちゅう通る道路だけだ。そのうえからりと晴れた空なので、青空が気持ちよく見える。

 従妹を山形に送り出したついでに、ちょっと駅から足を延ばして、シャッターチャンスを探しに車を走らせた。北上川の橋を渡ってすぐに北上し、しばらく走ると銀世界が広がってきた。開拓農地らしいちょうど北上川の脇の大地のようになっているようだった。岩手山がくっきりと見えるので、車を止めて三脚を取り出した。

 天気は申し分ないが何しろ寒い。風で帽子が2回も飛ばされた。三脚をセットしているときには、もうフードが固くなって外れなくなっていた。フードが逆さのままでも撮れないことはないので、無視して手が凍える前に何とか数枚シャッターをおすことができた。岩手山はあちこち写真を撮るポイントがあるけれども、ここもポイントに記録しておけそうだ。





2015年12月24日木曜日

三日目、寂光院と三千院は秋の押し詰まった風情

 美浜原発と針江を巡って、二泊目は大原だった。針江で「川端」の案内をしてもらいながら、水と生きる暮らしを聞き、普段の生活からは遠く離れてしまった「便利さ」が忘れてしまった大事なことを思い出させてくれた気がした。豊富な説明を聞いて、自然の価値を見直したのは心の満足感を得たようだった。そこの、できたばかりらしい小さなレストランで食事をした。案内の方とはそこでお別れだった。

大原までは、地図で見ても針江からはさしたる距離はない。ところがアクシデントがあり、車のJPSが迷ってしまった。道案内をするところがあらぬ方角を指して、行ってみるとくるりと一周して元に戻る。初めてこんな経験をした。原因ははっきりしないが、ポケットに入っているGPS記録器と干渉したものかということにしておいた、スマホもGPSを使ったアプリが動いているので、そちらも要因かもしれない。カーナビは、指図していても知っている道なら従わないほうがいいようだ。

 宿は寂光院と三千院の近くの宿だったので、チェックアウトしてから両方を巡った。紅葉の時期は過ぎてしまったので人は多くはないが、さすがに人気を感じさせるだけのところだった。











2015年12月18日金曜日

敦賀半島、美浜原発所をついでに〈訪問〉

琵琶湖は、日本一広い湖だと、覚えている以外は家族旅行と撮影旅行で行っただけだった。かのNHKの放映(写真家今森光彦の指揮の下、NHKによって製作されたドキュメンタリー番組『〈NHKスペシャル〉映像詩 里山〜命めぐる水辺〜』)を見ながらにして、今回の旅になったのは心に残るものだった。写真を撮ってきたものの、「作品」とするにはちょっと不足だけれども、とりあえずは撮ってきたという自己満足で納めておくことにはなった。

行く直前に針江生水の郷委員会に連絡をして、案内をお願いしたのだが、到着の日には琵琶湖の葦刈りをするので、応対不可能とのことだった。やむなく翌日で予約をしたのだが、琵琶湖周辺の地図を見ながら当日の行く先を捜して、美浜原発ならいける距離であることがわかった。ここも改めていくには覚悟がいるから、この折にと行ってみることにした。

美浜原発は鍵型になった半島の先端を占拠している。高台からか近いところから撮ろうと「航空地図」をみて予習したものの、現地では、敷地に入っていく橋は、陸側にはゲートがあり、門番がいて入っていかれないし(グーグルの航空地図ではゲートは映っていない)、回り込んだ陸地側からの小道は封鎖されていた。陸側の北側に漁村と見える小さな新しい港があって、この辺から撮ろうかと車を降りた。釣りをしている人がいて、話しかけたらクロダイをねらっているのだとか。魚港の様子を写していたら、伊根の舟屋のような小屋が目に入った。原発に背を向けて写真を撮っていると、ちょうどお婆ちゃんがでてきた。87歳でこれから山へ行って畑をみにいくのだと言う。この小屋は舟小屋で、家の前の道路(港の護岸)ができてからは、使わなくなったと話していた。

 直ぐ近くには水晶浜海水浴場があり、浜と海水はこれまで見たことがないようなとても綺麗で驚いた。投げ釣りをしている人に声をかけたら、シロギスねらいとのことだった。波が荒くてあたりが出ないと。北陸新幹線開業で、ここも観光のエリアとして力を入れているらしいことが後から判った。風光明媚なところに釣りやサーフィンで興じる人を見て、どうにもその存在を認められない原発の危うさと、「原子力PRセンター」の美浜原発3号炉事故の言い訳めく安全宣伝が甦った。









2015年12月13日日曜日

「共生」で、なぜか旅めくこのごろ。針江 生水の郷へ。

「共生」のキーワードが気になって、自然と共存している気がかりなところに行くことになった。琵琶湖の「川端(カバタ)」だ。11年前にNHKで放映されて、それからずっと気になっていて、いつかは行きたいものと思っていた。「写真屋」としては、自然との共存といういま時は貴重な存在を、ちょっと覗いてみたいと。
先日娘に話したら「行ってみる」という、うれしい返事で、旅行業者に駆け込んで新幹線と宿泊にレンタカーを予約した。NETを検索しまくって情報を探り出したら、地元で案内のボランティアがあるというのが分かった。電話をかけて予約を入れてみると、上手い具合に予約できた。

「川端」と書く各戸にある炊事場が、琵琶湖の周囲にめぐる湧き水を利用している。それが母屋だったり別棟、屋外だったりするが、琵琶湖から掘り出された弥生時代の遺跡からもその形ができているということで、歴史的な時間を経て繋がれていることなのだということだった。24メートルも掘ると水脈にあたるのだと言う。他の池や水路などでも湧き出しているところが見られたので、多くの水が豊かに流れているという印象だった。

NHKの放映のときはその水瓶にはヨシノボリなどの小魚が入り込んでいるようすもあったが、現在はどこでも鯉が幅を利かせている様子だった。NETの地図でわかるのだが、確かに琵琶湖には小さな川がいくつも流れ込んでいるから、豊富な水がわき出ているということだろう。湧水は「川端」に引かれ、壺池に溜まる。壺池からでた水は端池に流れていくが、端池では食器などを漬けておくと、食べ物の屑を淡水魚が全て食べてしまう。水はまた出て小川にでる。小川にはバイカモやほかの水草が一面に生えていて、汚れないように配慮しており、洗剤も無害なものを特注して使っているという話だった。

水路や針江大川には、コイ、オイカワ、タナゴ、ヨシノボリ、サワガニ、カワエビなどが生息しているし、アユも上ってくるということで、人間が棲んでいる環境に、ごく近しい関係の生態系が出来上がっている。日常の「常識」からは信じられないようなことだ。
「針江、生水(しょうず)の郷」という呼び名は、壺池に入る水を生水と呼んでいるのが元らしい。2004年にNHKが放映するまでは(正確には写真家今森光彦氏の指揮でNHKが製作した)、川端も現在ほどの保全は図られずに、上水道も使用していたらしい。家の周りも汚れがあったのだが、放映効果で人が大量に押し掛けたり、家に立ち入られたりということがあった。しかしそこから、案内ボランティアを発想したり、上水道を止めて川端の貴重さを見直していったり、小川の清掃を年に何回もやったりして、針江が「進化」をとげてきたとのことだった。




















2015年12月6日日曜日

被害者は己のみの危ない話

先日墓参りに行くとき、新幹線の出発時間を間違えた。幸いにも時間前のほうに間違えたので、支障はなかったのだが危ない話だった。危ない話は、新幹線に限ってもいくつかある。ホームは間違えなかったが、同じホームから出る行く先の違う列車に乗ってしまった。そのときも早めにホームに着いたが、うっかり一本前に乗ってしまったのだ。山形へ行くのに東北新幹線に乗ったのだから、かなり方角が違った。仙台まで連れて行かれたのだから、結局福島まで戻った。

遅くなった方もある。午後出発の時間で、その日は写真メンバーと新宿で飲んでいた。ついつい話が弾んで、見込んでいた所要時間が足りなくて、新幹線ホームに昇るエレベーターが、あと数メートルのところで、間に合わず冷たく出発されてしまった。

これも頭の働きによるものなんだろうと、半ば折り合いをつけなくてはならない。「アクセルとブレーキの踏み間違いの事故」などのニュースで聞くと、人ごとでないことを実感する。行動の結論のために導くべき工程に時間がかかるし、その経路がぼやけるといった感じだ。しかし、元気なうちにやりたいことを、後悔しないようにやることも対策の一つには違いないから、頑張る以外はないと屁理屈をつけて出かける。


東京駅で一時間早かった分を、丸の内で写真を撮ることにした。街で撮るのは久しぶりだったから、新鮮な気分で気持ちが良かった。丸の内を歩く人も様々で、出逢う人がなにをしているのか、どこへ行くのかを想像しながら歩くのも面白かった。ライトアップを待つ木が、小さなライトをたくさん身にまとわされて、少々気の毒な様子だった。もう、12月なのだ。











2015年12月3日木曜日

「共に生きるのは」の範疇を考えて

 「共に生きる」ことは人間社会(あえて自然と区分する意味で)のこととして考えることが一般的なのかもしれません。そうなら人類の共生ということになるのでしょうか?共生は生き物全体の有様として、どこにもあることだと考えることができますから、「共に生きる」のは人の社会に限らないことのように思えます。

 ちょうど、地球温暖化の問題でCOP21が開催されます。このおり気候変動を巡って議論が高まっています。地球温暖化の状況はそれ自体から紛争を生み出すこと(シリアの干ばつ)や、エルニーニョ現象の時には内戦がおこる可能性は二倍になるとう説も出されています。(「気候変動が紛争を増大させる」世界11月号)アメリカのホワイトハウスのHPで「温暖化は、特に子供、老人、病人、低所得者、そしていくつかの有色人種のコミュニティに属するような脆弱な人々に大きな被害を与える」とハリケーン・カトリーナの被害者を分析(同12月号)して、警鐘を鳴らしています。気候変動こそ最大の安全保障であるとの主張も出されています(エマニュエル・パストリッチ「同12月号」)。

 これらは雑誌「世界」のテーマが温暖化を取り上げているので、ここからの引き合いですが、「戦争は偉大なる汚染です。温暖化で地球が滅びるというてるときに、もう戦争なんてする余裕はないんです。 米谷ふみ子」(同11月号)も含蓄ある言葉として感心しました。

戦争法をめぐって、目の前にある大きなテーマは流行語大賞にも選ばれる状況ですが、温暖化の問題は環境破壊への対策=自然との共生をクローズアップさせているように思います。

 環境破壊は、高度成長期にとりわけ大問題になって以後「公害反対運動」がきっかけで、企業責任が問われることになり、改善の方向はでてきました。いまや、中国の大気汚染を「笑う」までになりました。しかし問題は、経済成長政策によって日本中の環境破壊が引き続いてすすめられたことです。海と言わず川と言わず、山と言わず再開発に貢献させてきたのですから、環境改変は日常茶飯事ごとのように仕向けられてしまいました。佐渡のトキ繁殖のために、田んぼに「水田魚道」を設置して、ドジョウを育てる、川辺川の荒瀬ダムを壊してもとの川に戻すなど、ごくごく一部には自然回帰の手が打たれるのみで、400キロの防潮堤のように地元の意向には耳を傾けることのない基本的な構えで、それこそ「自然との共生」が損なわれることがすすめられています。

 経済の成長に気を取られて失っているものがとても大きいとことは言うまでことです。都市開発でさえそうですが、日本の「もの」の創造は破壊から始まっている、あるいは破壊を伴っています。で、その延長線上に「戦争」という最大の破壊行為が待っていると思うのです。かつて東京改造論がぶちあげられたとき、「地震待望論」まで考えているということが言われていました。阪神淡路大震災のときは、これ幸いと市民の意向を無視した都市建設がねらわれました。「破壊」は最大の市場になり、しかも開発参加者には取り壊し費用のない、低廉な土地取得ですから、願ったりの事態という頭になるのでしょう。どこかの国が破壊されることも、金儲けで行けばOKなわけですから、人類最後の最悪の選択へと落とし込められているわけです。

 共生は人と人との関係のみならず、人も含めた自然界全体を視野に入れることが合理的ではないのかと思います。自然は物を言わず、黙ってリバウンドを仕掛けてくれます。黙っている部分を人類の側が思いやり、変わって手を打つ必要に迫られている時だと感じます。埋め立てで失った自然を取り戻すために、千葉県検見川の人工海浜に入れていた砂は、何べんも潮流に流されてついに断念せざるを得なくなり、お台場海浜公園は大腸菌対策のためにカキ礁を使うなど、「海の神」がいればきっと笑われているに違いないことを、我が社会が繰り返しているわけです。冷静な知見も人間が持っている能力なのですから、これを活かしていきたいものと、恐れながら考えたりしています。