2015年1月24日土曜日

にぎやかでわびしい宴会

 昔の仲間と上野で新年会をやった。現職で働く人が二人と退職後を謳歌するもの二人。ときどき合っては、近況を語り合う。待ち合わせ時間には20分ほど早かったので、アメ横あたりをひと回りり廻ることにした。17時半過ぎだから一般的に宴会開始には早いのだろうか。酒場は空いているところもある。横丁に入ると透明のビニールに囲まれて、厚着したままの若手グループがすでににぎやかに集っていた。多少寒くとも、安い費用でアルコールが飲めるのだろう。

 この寒空だから店の外にオープンスペースを作っているところは人気がない。時間を見て、宴会場へ行くと一番の到着だった。すぐに宴会の仕掛け人が表れて、皆がそろうまで、飲み放題のコースのほかにビールを注文することになった。ほどなくそろって、アルコールの廻りを楽しみながら話に花が咲く。それはいいのだが、料理がさっぱり来ない。どうしたものかと、思わ出ていないものがあるのではないかと、担当者に聞いてしまった。

 「刺身はでないの?」と言うと「湯葉の刺身です」と反ってきた。確かに可愛い湯葉がわさび付きで出ていた。天ぷらも小さなエビが一本綺麗に皿に載せられてきていた。一様に、口の寂しさに文句を言いながら、こんなものかねーとあきらめて、飲み物だけをどんどん注文した。以前はそれなりの料理だった気がするのだが、実質値上げということになったのだろう。アベノミクスの負の「恩恵」をまた考えずにはいられなかった。










2015年1月23日金曜日

クマ対ヒトのせめぎ合いはクマに軍配か

 昨秋、長野でツキノワグマが里に出て、人への被害が増えて過去最高になったという報道があった。エサのドングリが不作だったということが原因の一つとされていた。エサが無ければ里に下りてきて、農作物でも柿でも食べるという。荒れた里山が徘徊しやすい環境を与えているという指摘もある。農家の継続ができなくなって、里山の保守管理もできず、暮らす人も減るということで人の「生息環境」が不活性化してきてしまった。

 そこにクマが出没するということになった。したがって、クマの繁殖数が増えて、その分だけまた食糧不足に陥っているという見方もある。昨年春に、岩手県だったが数少ない渓流釣りでも、出会ったのだから推して知るべしという感がする。増えているクマを狩猟で減少させることも、高齢化によってできなくなっている事情もあると言われている。

 「地方創生」の呼び声で、自治体の動きも伝えられるが、こうした現状に適合した地方の活性化ができるのだろうか?コストパフォーマンスなる物差しで、金にならないところは切り捨ててしまう発想では、クマの生息テリトリーがもっと増えてしまうことにもなりかねない。

 「甘み」や「苦み」などの味覚が認識できない子供たちが30%にも上るということが、東京医科歯科大学の調査でわかった。濃い味の飲食によるものと言われている。美味しいものを探し回る力は、人の生活よりもクマの方が幅を利かしているようだ。










2015年1月22日木曜日

生きものは自然界で生きるのが一番

 葛西水族館で死亡してしまったクロマグロなどからウィルスが発見された。原因不明の死亡が続いて、専門家による薬剤を投与していたが、さまざまなストレスを想定したのの、しばらく原因がわからなかった。死亡発生が止まらず、病理診断検査の結果によってウィルスと判明した。どんな種類のモノかはこれからだという。 

 上野動物園でもこのところ大型動物の死が相次いでいるとか。こちらも原因を特定して明らかにはしていないが、「同園教育普及課では、死因はそれぞれで異なり、関連はない。寒さなど季節的な要因でもないだろう」と発表している。繁殖をさせようとしたものが、果たせず高齢化によったものという図式らしい。 

 生きもの鑑賞するという行為で、楽しかったり面白かったりするし、地球上に人間以外の動物が存在するということを知るという意味で役には立つとは思う。不幸にして人に捕獲されて、食に回されずに水槽か、檻の中に入れられてしまった。人間の「ために」従属させられるのはどちらにしても気の毒なことだ。「人間みな平等」は人の規律では役立つが、ほかの生物のためには通用させていない。人間の支配下に置くという思想だけが定着してしまったことも、今は返り見なければならない時期だろう。

 他人の存在を認めて尊重することでさえ、日常とても難しいことだ。その上にその理念は、人間以外の生き物との関係にもあってしかるべきとしないと、人との共生は望めない。「死亡」という言葉は大概は人をさすが、人以外でも使われるということで誤りではないらしい。それよりは同じ言葉で言い表せることができる、生き物としての「平等」を慮った方がいいのかもしれない。

 人間が、あるいは人類がでもいいが、自然にたいして、再生・循環能力を確保して管理できるのだろうか。よしんばできるとしても、それよりも先に自然界を「死亡」させてしまっては元も子もない。異常気象を含めて人の世界が自然に与えているストレスは尋常でない。日頃の世界と日本の天候はそれのあらわれだろう。日本の周囲での漁業活動は、資源管理の名で養殖、栽培漁業が当たり前になっている。もはや自然の再生能力を前提にしないところまできている。

 
 つりの会の磯の小物のつり大会が、127日に三浦半島で催されたが、海タナゴや小メジナの釣れ具合が非常に悪くなっている。それも年々下降しているという状況だ。この正月4日の初づりも、従来に増して釣果が落ちている。海も川も、魚を釣る環境が悪くなっていることは、間違いない。自然と自然環境に対する干渉や改変に、リアクションがいよいよ迫ってきているという気がしてならない。








2015年1月17日土曜日

久しぶりの仙人の家と岩手山


  東京の都合にかまけて、しばらくぶりの仙人宅訪問。11月からの雪の便りでよほどの家を取り囲んでいるのかと思ったが、それほどの状態ではなかった。年寄りの生活からは何よりではあるが、まだ1月半ばだから、これから先があるだろう降雪に安心はできない。向かい側の家のツララが長く伸びでいて、今は背丈よりも長い。一時は二階建ての屋根から地上まで着いたというから、やっぱりすさまじい寒さなのだ。

少な目の雪の上を、やけにウサギが歩き回って(チョン、パッの足跡だから「飛び回って」か)いるようで、どこにも足跡がついている。見まわしたところ、餌となるようなものはないようなのだが、アトランダムに気まぐれで歩いているような感じで面白い。人間の生活に割と近いところで生きているのだろう。生活で不要になった残り物にありつけるということなのだろうか。狸にしろ鳥にしろ、クマにしろ、人間の生活を意識していると思うとおかしい。

クマやカモシカ、狸、キツネなど、どちらかといえば、‘友達’とは思われないような評価(文化か)が定着しているが、ほんらいそんなに悪さをするものとも思われないのだが、里に出てくると追い払われる。追い払われた場所はだいたい「昔」は人がいなかったところじゃなかったかのかな。エサの多寡も人の生産活動の影響なのだし。

親父は一層背中が曲がって小さくなった。歩くのはすり足で、転倒を避けているのだという。話は合わないことが多いが、見ていると可愛い感じになってきた。でも態度は好ましくないと従妹が言う。思い当たる節は確かにある。天命を全うするのは大変なことだ。自分の立ち振る舞いがスムーズにいかないことが多くなって、重ね合わせるとため息が出てくるようだ。











2015年1月10日土曜日

天にさまよう亡霊か片づけられないゴミ箱か

 ホームページの引っ越しをこれまで何回か経験した。新しい住まいとなると居心地良くしようと念を入れて作り上げる。そのきっかけは、回線とプロバイダの変更に伴うものなのだが、料金が値下げになるよという誘いにのってのこと。「安さ」を強調して説得をされるが、問い合わせ電話サービス、電話そのものの、やれ留守番電話だの番号表示だのと料金上乗せを迫られる。その攻撃を「無料サービス期間2カ月」のうちに解約するのがひとつのコツになる。

 しかいその変更によって、これまでの自分の設定に手を付けなければならないものは相当ある。このたびはメールアドレスの変更で、年末からえらい時間がかかってしまった。もっとも、メールのアドレス帳も整理せずなおざりだった。届かいない宛先でも残っていたり二重だったり、先方のアドレス変更による入れ替えをしていなかったり、グループ送信のメンバーが変更されていなかったりしていた。これを是正することから始まったから、やっかいなことになった。逆にだから整備ができたのも成果には違いなかった。

 ホームページサービスも無料という扱いが廃止されるのが、事業者の通例になってきた。いままでのものが2月で終了するということを通告されていたから、引っ越しは既定のことになっていた。それで結局有料ホームページを使用する羽目になった。それに伴って、これまでのホームページが、残ってしまうのではないのかという疑問が生じた。

 以前に使っていた釣の会のホームページで写真を主にしたものがあった。今回と同じようにアドレス変更をしたのだが、当然旧ホームページは「抹消」してくれるものと思っていた。プロバイダが使わなくしてしまうのだから、「消える」という判断を頭に置いた。ところが今回何気なくその「消えた」はずのホームページが生きていることに気が付いた。その時のプロバイダに連絡をしようと思ったが、その前に参考のために、更新のためのアクセスをしてみることにした。記録に残っているサーバー名、パスワードなど必要な項目を使ってアクセスしてみたら、なんと繋がるではないか。これには驚いた。このHPアドレスが生きたまま、亡霊かダストのように宙にさまよっていたわけだ。繋がるのだから更新(書き換えが)可能で、真っ新にする白紙のページをすぐに更新アップした。

そんなことがあったから、今回の引っ越しにあたって元のプロバイダに「ホームページはこちらで何もしなくても消えるのか」と念を押したら、そのとおりですと言う。しかし前例があるので当然疑った。年末には旧プロバイダ契約が解約となるから、1月に入ってからその旧ホームページを参照してみたら、やっぱり残っているではないか。これも同じく、「引っ越し先アドレス」を書き込んだページを更新して置いた。数日後にやっと旧ページが消えた。すぐに消えるということではなかったのかもしれないが、解約は12月26日までのものが月末に解約となるという説明だった。解約申し込みを受けてからは、人力作業だからタイムラグが出るということなのだろうか。

 ところで新しい方のホームページがまた素直にいかない。1223日に「お試し」登録して、これまでのホームページをアップした。アドレスがかわっただけで、どういうことはない。16日に本登録をした。お試し登録をしてから「二週間のうちに本登録しないとダメ」ということだから、これは有効だったはず。しかし、7日になったらホームページが真っ新になってしまった。お試しの時にキチンと更新してアップでき。参照もできたのだから、本登録によってそのまま引き継がれ、移行するものとならなければならない。もう一度更新アップが必要かとやってみたが、どうにも受け付けない。

 仕方がないから業者にメールを入れて、状況を伝えた。「6日に一度終了した」ことで切れてしまったから、直しておいたという返信が戻ってきた。なんのことやらさっぱりわからない。それも、電話連絡もできないということになっているので、解明するのも面倒で、ホームページが見られるようになったことでよしとした。いくらかは、作業に慣れたとはいえ、こうした目に見えない状況は、お化けみたいなものだ。自分の生活体験からは図れないことが多い。情報化社会もなんだか危なっかしいことがあるのではないかと思えてきた。



2015年1月7日水曜日

監視カメラでねえ

ゴミの不法投棄を防止するために、監視カメラを設置するという中野区。とりあえず何か所かでやってみるということだ。我が家のゴミ・資源ゴミも前の通りの電柱脇に置いているが、ゴミに被せるネットの管理(収集後にたたんでおくだけだが)をなんとなくやっている。30年も住んでいるが、そのころからの知り合いはたった一軒で、あとは引っ越してしまった。あとは「新住人」が入っているので、自然淘汰でそうなってしまった。

建売の6軒が同時に住み始めたころは、ゴミ置き場の清掃も交替でやるスタイルができあがっていた。周りの建売住宅ももう痛んで、立て替えで住人が入れ替わり、昨年も目のまえの道路の向こう側に、3軒の住宅が建ちあがった。
本来なら、ゴミ置き場の管理の相談をして…というところだが、なかなかそこまでいかない。

ゴミの収集日に「何曜日は何のゴミ」ということが、新しい住人には慣れなかったらしい。収集日の目的物に合致しないものが、かなり置いてあった。困ったものだと思いながら、それでも収集日まで置いておくのは、だらしがなくてなんとかしたほうがいいかと思った。でも、やっぱりそのまま置いておいて自覚を促すという方法が、穏やかでいいらしい。最近は確かに減ってきた。長年住んでいるせいで、責任者のようにみたいに、あれこれの目配りをしたりするのもおかしいが、もうちょっと酷かったら何らかの手を打とうと思っている。 

ちょうど隣に中学校があって、学校の周りに捨てられるゴミを、止めさせようとのキャンペーンをしている。学校のフェンスに防止のポスターがいくつも貼ってあるから、それをカメラで撮影して、ゴミ置き場に表示しようかというアイディアだ。

ゴミの収集が終わったら、被せてあったネットをキチンとたたんで、そばのフェンスにかける。それだけで綺麗にしておく気持ちが伝わればと思うが、ちょうど「新住民さん」が外で車を掃除しているときに、収集した後の網を片付けたら目があって、挨拶を交わすことになった。これでまた清潔さが保てる条件がひろがったかもしれない。

どこでも「不法投棄」は頭の痛いことだろう。しかし、監視カメラで写したからどうだというのか。殺人罪があっても殺人は減らないのだから、匂いのもとを立つことにはならない気がするのだが。
資源再生ゴミが、住民の無料奉仕で成り立っているというのも、釈然としないと思うのは私だけだろうか。資本主義社会タダのものがあるのか?ものの購入や消費にはこれでもかというほどの「ゴミ」が発生する。これが全部消費者側の責任に帰されることなのか?などとブウタレながら、今日のプラスチック類の資源ゴミごみを、また置き場に運んだ。







2015年1月4日日曜日

サザンが紅白歌合戦で、ちょび髭をつけていたワケ

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12.31産経新聞
 紅白も終盤、サザンオールスターズが特別ゲストとして、31年ぶりに出演することが明らかにされた。中継がつながった先は、サザンが年越しライブを行っていた横浜アリーナ。なぜか、つけひげ姿で登場した桑田佳祐さんは、NHKホールの中居正広さんから会場の雰囲気を尋ねられ、「もうどっちらけなんです」と、冗談めかして語った。
 出演が当日まで明らかにされなかったサプライズ。桑田さんは出演を決めた理由について、「メンバーで還暦超えたやつもいるので、もう一回、チームワークを高めてやってみようか、と。来年は元気に外に出ていこうかな」と語り、会場をわかせていた。
 つけひげを外した桑田さんは、その後、「ピースとハイライト」と「東京VICTORY」の2曲を熱唱。横浜の熱気がNHKホールにも伝わり、年末最後の大舞台をさらに盛り上げた。
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 このニュースのタイトルは「サザン31年ぶり出演 桑田はなぜか、つけひげ姿」だ。
 紅白歌合戦などは見ないのが大みそかの過ごし方。でもこれは多数派だとも言える。視聴率は35%から40%だから、先日の投票率よりもまだ低い。比較するのもどうかということはあるが、見ているだけで、時間がしすぎて行ってしまうのが癪に障る。ところがこのとき、たまたまサザンのでるところを見てしまった。あれなんで付け髭か?おどけでやっているのかとその時思った。いやそのあとの歌を聞いたら、なかなかの歌詞だった。このときのちょび髭と歌詞をめぐって、NET界がにぎやかになっている。NHKが一日二日でサプライズを演出した…とか、前から周到に準備しておくのがNHKスタイルとか、日頃のサザンの歌の「反骨精神」がNHKの軍門に下ったとか。歌詞に政治色が強いなどと。

歌詞(http://www.uta-net.com/movie/150317/)のうち、アドリブで挿入した部分もあったという。
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 「都合のいい大義名分」という歌詞では、「大義名分」を「かいしゃく」と歌った。まるで2014年に起きた「ある出来事」とも符号する。「癒合のいい解釈」で憲法が事実上変更された、とされた出来事だ。
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 ちょび髭は、ヒットラーを演出したものだった。謎が解けた。歌はおろそかにできない。政府やNHKを相手に、「やってくれた」という気がして、年明けを挟んでうれしい話題の飛び交いだった。









2015年1月3日土曜日

ホームページをどうするかが、年越しの問題

大問題とするのは我が身を振り返ってのこと。ホームページの移転(HPアドレス〈URL〉)の変更)は、‘’通常想定すべからざること”だ。〈あそこにいけばそれがある〉は、喧伝する側にとっては必要な要素だろう。一定期間広報につとめたHPアドレスは変えたくはない。このHPアドレスを無料で提供されていたものに、突如として「家賃を払わないものは出ていけ!」とされたのだからたまらない。2月一杯で使えなくなってしまうとの宣告で、やむなく心覚えの提供業者にアクセスしてみた。

有料と無料とがあるのはわかっていた。新しい接続業者はHPスペースそのものを提供していないから、もう金で解決するしか無料のモノを使うかの選択しなければならない。無料で提供するものは、広告スペースがホームページ上にセットされて煩わしいし、有料のモノよりもあれこれのセキュリティなどで「欠陥」もあるだろう。ただ安いわけはない。「簡単な」ホームページしかできないので、見栄えに各段の差が出る。

たかが釣りの会という貧乏世帯なのだから、割り切り方もあるかと無料のスペース使用申し込みをしたら、こちらの連絡の受信メールアドレスがWEBメールでは届かない。たしかに断り書きには、連絡が届かないし電話連絡はできないと書いてある。どうしてそうなっているのかは不明。まったく馬鹿げたことになってしまった。ここでメールソフトをわざわざ買うという選択を採る気はない。

かくして、有料のホームページを使う羽目になってしまった。
そもそも、ホームページの効用が釣りの会に、どれほどあるのかということは、この際は考えないでおく。「交流の用に供する」「人並みの社会での歩き方」程度のことで、ますますの必要性は将来に託する。ないよりはあった方がいいと言い聞かせるのも少々情けない気がするが、取り合えずそこは棚上げにしておく。将来の期間はとりあえず3年として、有料のホームページへ移転することにした。

 ホームページの更新について何かのリアクションがあればそのときは、間違い指摘であってもうれしいものだ。そんなことに追い込まれた年末だったが、日本労釣協HPの移転作業をしながらもうちょっと更新する記事が欲しいよなと、また思った。




2015年1月2日金曜日

たかがメールされどメール

齢をとったら、指一本でも外界と交流ができるのはパソコンが便利ではないかと思ったのが、これに突っ込んだ動機だった。たしかにさまざまな情報を捉えることができるし、キーボードを押すだけで外界とのやりとりが可能だとなると、生きていくには欠かせないグッズかもしれない。(グッズなんて言うか?これも横文字に毒された所以)。しかし、自分の身勝手さもあって、さしたる見通しも持たずに、生半可な使い方でいやはや往生の極み。

メールは、釣りの会の通信を主とするものだから、そこに属さないものは、別のWEBメール(Gメール,Yahooメール、Outlook.com)を使って振り分けている。釣の会の例会に行くときのレンタカーの予約はYahooを連絡先にしておき、HPの連絡先にも使う。Gメールは、農水省のメーリングリスの配信先、配信を依頼したブログの更新通知、パソコンソフト関係の受信先、Outlook.comは水産技術センター、カメラ関係の受信などと振り分けていた。これで何年かやってきていた。

今回は、プロバイダの変更に伴って起きてくるメールアドレスをどうするかの選択が焦点だった。今回だけでなくプロバイダを変えることによって、いままで使っていたメールアドレスの変更を迫られる。どうだろう、メールアドレスは、パソコン通信の主要な「名前」なので、変えたくないと思うのが自然だろう。前回変更の憂き目にあったときはそう思って、使い続けるという選択をした。むろんそれは有料だった。だいたい、通信技術の発展と言うか向上によって、各種のサービス料金が低減するのが当たり前なのに、つまり今までのままでも料金が安くなるという方向が出てくるはずなのに、新たな付加価値を「創造」することで、儲け口を担保するという手法だから、その尻拭いはこちらがすることになる。

それならばと、長年使ってきたメールアドレスを手放して、ほかものに統合することにした。前回のブログで書いた、釣りの会のホームページが有料でないと使えないという憂き目にも腹の虫がおさまらない。たとえわずかなアドレス使用料ももう払わないと、「大きな決断」をするに至った。

 ところがその先にヤマがあった。2000件弱ある引っ越し元のメールを引っ越し先に統合しなければならない。これはこれまでの経験でなんとかできた。しかし、「送信済みメール」が引き継げない。(これはコメントが必要かもしれないが、日常のメールのやり取りを記憶に頼ると、事実の違いがでてくることがある。自分としてはそのことも考慮にいれて残しておきたいという動機に基づく。このことは、企業経営だけにとどまらず、さまざまな組織や団体で有益なことだろう)旧メールの「連絡先」やら「送信、受信」メールを引き出すエクスポートで引き出して、別に保存しておいた。

 受信したメールは新しいアドレスになんとかインポートで引き継ぐことができた。別途エクスポートして保存して置いたファイルは、単純にこのファイル形式が圧縮ファイルということで、解凍ソフトを手に入れないと開かないらしい。それはそれとして、過去のメール内容を確認する必要が生じてから、その時に圧縮ファイル解凍のソフトを手に入ればいいかということにした。