2014年2月28日金曜日

片手落ちのNHK

中国から飛んでくるPM2.5が日本の各地で測定されて、汚染による影響を心配する声が集められていた。昨日朝一番の報道だった。日本における高度成長期の公害が深刻で、その後の対策が遅々としていた。当時からマスコミは公害問題についての報道は多くなかった。いまだに解決がされていないものもある。領土問題や、あれこれの中国「批判」のひとつとして、これが日本の憲法「改正」、集団的自衛権行使、軍事力増強への露払いになっていることは否めない。

昨年の話「韓日中の石原伸晃環境担当相は56日に終わった第15回韓日中環境相会合(TEMM)で、中国発の移動性大気汚染物質「微小粒子状物質(PM2.5)」に共同対応するため3カ国間の政策対話を新設することにした。 PM2.5問題協議のため3カ国が協議体を構成したのは今回が初めて。環境部の尹成奎(ユン・ソンギュ)長官、日本の石原伸晃環境相、中国の李幹傑環境保護次官はこの日、福岡県北九州でこのような内容を盛り込んだ共同声明に署名した。」 があったけど、後はどうしたのだろう。日本が「友好の立場」で中国と協力関係を太くしていくことは良いことと思うが、こういったことは後景になっているのだろうか。




昨年9月、東電の「一日600億ベクレル港湾外放出を否定せず」とのユーチューブがあった。NHKはこういう大事件も、取り上げてもらいたいものだ。そうしたら、東電の態度もちょっとはましになるのではないだろうか。 
昨日の国会で笠井議員が、原発におけるトラブルがどのくらいあるのかとの質問をしていた。原子力規制員会の田中委員長は、107件をということだったが、「軽微なものは除いて」としていたため、再三の追及によって、ようやく201件と認めたことだった。比較することではないだろうが、報道は片手落ちということになっている。










2014年2月27日木曜日

2020年東京オリンピック開催の本音は

「史上最高のオリンピック」に向けた会場や都市基盤の整備が、桝添新都知事の公約だった。オリンピックが東京開催に決定したことで、「忘れてはならない課題」との兼ね合いが考えられなければならなかった。オリンピック開催会場や都市基盤の整備の前に、復興の課題も当然ながら道路や橋梁などのメンテナンスも急ぐべき大事なことになっているはずだ。だから、内容はともかく猪瀬前知事は「コンパクト五輪」というキーワードを使っていた。

しかし、そんなことはこれっぽっちも考えていない。
「外苑の再開発を巡っては、2003年に財団法人「日本地域開発センター」が「明治神宮外苑再整備構想調査」を実施して、同時期に「JEM・PFI共同機構」なる団体も外苑の再開発構想をまとめた。各スポーツ施設を移築して一帯に高級マンション群を建てる計画で、実現時の資産価値を1兆円と見積もった。機構の幹事社には鹿島や大成などが名を連ねた。この法人の役員名簿には今も三菱地所、竹中工務店、清水建設らの大手ゼネコン幹部が並ぶ。10年前から国立の老朽化をにらみ、ゼネコン各社が再開発利権を狙って、主導権を争っていた状況がうかがえよう。」

 森(元首相)が、「東京で2回目の五輪を」と石原をたきつけて、20054月に日本体育協会の会長に就任した直後、「国立競技場の建て替えが、政治家の私が会長になった意味。東京に五輪が来れば全部できる」と語った。
都が晴海にメーン会場を新設する計画を立てると、森(元首相)は「都内に国立競技場は2つもいらない」と文科省幹部に念押しした。結局、晴海に国の予算は付かず、都は計画を断念。国立競技場は五輪のメーン会場として巨大スタジアムに生まれ変わる。森の悲願達成の裏には親友(石原慎太郎)の影がちらつく。外苑一帯は今年6月、建物の高さ制限が15メートルから75メートルに大幅に緩和された。そして再開発を後押していったのが、猪瀬前知事だ。 
大判ふるまいの計画がずっとまえから企画されていたことを、新知事によって堂々と歩けるようになったということだ。「よく転ぶ」で総スカンを受ける前にも、この仕掛け人は物議をかもしていた。

森会長(オリンピック組織委員会)らがソチで会見
 【ソチ共同】2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が9日、ソチで記者会見し、森喜朗会長(76)ら執行部が高齢で語学力に乏しいことなどについて厳しい質問を受けた。森氏は第2次大戦に触れ、英語は「敵国語だった」などと説明した。
 英語力について、森氏は「昔はボール、ストライクも『よし』『駄目』と日本語を使わされて野球をやっていた。私の世代はよほど特別に勉強した方じゃないと外国語をよく理解しない」と話した。出席者からは「敵国語とは不快な表現だ」(英国人記者)「ジョークだと言えば笑い話で済んだが、そうではなかった」(米国人記者)と当惑する声が聞かれた。2.9 47NEWS

オリンピック憲章「オリンピズムの根本原則」のトップにある「1. オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均衡のとれた総体としての人間を目指すものである。スポーツを文化と教育と融合させることで、オリンピズムが求めるものは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造である。」を見て、これだけで日本の現状と人材の適格性が問われる気がしてくる。





2014年2月26日水曜日

外国との差あり、日本の後進性かも。

 真央ちゃんが帰国して記者会見をしたときに、森元首相が「大事な時に転ぶ」と発言したことについて、どう思うかとの質問に答えて「森さんが今、後悔しているのではないかと思います」と答えた。明るく答える様子が印象的で好感が持てた。SPは失敗しても、後のフリーでは自分が構成した目標を完成させたことで、感動を広げたことに確信を持てたのだろう。
 そのときの森元首相の発言は、アイスダンスの選手にも及んでいて、「…特にペアでやるアイスダンスっていうんですかね。あれ日本にできる人はいないんですね。あのご兄弟は、アメリカに住んでおられるんだと思います確か。ハーフ。お母さんが日本人で、お父さんがアメリカ人なのかな。そのご兄弟がやっておられるから、まだオリンピックに出るだけの力量ではなかったんだということですが、日本にはいないもんですから、あの方を日本に帰化させて日本の選手団で出して、点数が全然とれなかった。…」とも話していた。

 こちらの方も配慮のない発言としてはすごいものだ。2020年オリンピック組織委員会会長であるのだから、いかがなものかという声が上がるのは当たり前だ。ところで、その記者会見で質問したのは「海外のメディア」だった。日本のメディアだって質問したいところだろうが、もしかしたら「配慮」かな?

 もう一つ昨日はイスラエル大使館が、破られたアンネの日記を寄贈するというニュースがあった。こんなにひどく広がっていることが今頃表面化したことにあきれ返るし、警察がオズオズと捜査すると言い出すのも恥ずかしいことだと思う。
 イスラエル大使館は「日本の皆さんからのご心配と思いやりに私たちは深い感銘を受けています。アンネの日記は、ホロコーストやその人道的な側面への理解を深めることに役立つもので、日本の捜査当局はこうしたひどい行為を犯した人物に対して速やかに対応し、裁きを受けさせるものと確信しています」とコメントした。

 イスラエル大使館が手を差し伸べてくれたことに率直に驚いた。せめて政府はお礼ぐらいは言うのだろうな。海外との差異を感じた出来事だった。

日本海外特派員協会記者会見真央会見「私はなんとも…森さんが後悔しているのでは」

「アンネの日記」イスラエル大使館が寄贈へ












2014年2月25日火曜日

小国川穴あきダム建設が唯一の治水という山形県のこだわりには、根拠なしの反論

 山形大学の川辺孝幸氏が、最上小国川穴あきダム問題を解き明かした映像があった。2012.9.27にあった集会で講演されたもので、県の依頼調査結果に基づいた調査によって判明したことと、公金差し止め訴訟での論点の紹介と、「河道改修で治水対策できないとする県の主張はなりたたない。」「河床を下げる、堤防をかさ上げすることで治水が可能」という根拠について説明したものだった。

 河床を下げることで温泉の湧水に影響するという県の主張は、ブルトーザーで岩盤の割れ目に影響するような力はかからないし、過去に起きた洪水は「内水被害」(堤防の内側にたまった水が、流れが高いため逃げ場を失う)なので、川の増水によるものでないという事例について紹介している。また、平常時には貯水せず、洪水時に貯めるという「穴あきダム」は、実施例が少ないためにその効用についてのデータはないとの研究者の論文もある。

2012.9.27



山形大学の川辺孝幸氏の講演

再生は約32分かかります


国土問題研究会 中川 学[技術士(建設部門)]
…ダムによる河川環境破壊の実態が明らかになる中で、利水目的のない治水専用ダムの場合、平常時は貯水せず、洪水時のみ洪水を貯留するという「穴あき式ダム」が提案される事例が多く見られる。つまり平常時は、河床に設けられた放流口から流水をそのまま流下させ貯水しないため、従来のダムに見られる貯水池内での水質悪化など、河川環境に与える悪影響が軽微であるとされているものである。しかしこのタイプの治水対策ダムは、ダムへの批判が大きくなったことを反映して、苦し紛れのように考案されているもので、実施例はごくわずかでありその実態は明らかになっていない。しかも環境への影響を評価するためには長期間のモニタリングを要するが、筆者の知る範囲では公表された実施例はない。したがってそのようなデータの分析はなされていないと考えられるが、国交省や研究者などの間で「環境にやさしい」と大合唱されているのは、無責任きわまりないものである。…
「流水型穴あき式ダム」の安全性・環境影響を問う






2014年2月24日月曜日

ダム建設ありきの発想が幅を利かせるのは、おかしいと思わないのがおかしい

 最上小国川漁協が12月23日、山形県への回答書を提出した後の記者会見。県は「公益への配慮」(=ダム建設の邪魔をするな)を要求した、協議には応じるが態度は同じと故沼沢組合長が話す。県は回答書を玄関で受け取るという扱いをしたが、これもひどい話だ。
(再生28分かかります)



  最上小国川の漁業権更新時期に乗じて、漁協にダム建設を飲み込ませるというやり方は、不条理なこと違いない。原発マネーがクローズアップされたが、千葉沿岸の埋め立てもカネで飲み込ませたものだった。カネに加え、さまざまな行政の方策を使って、「ダム建設」という目的のために国も自治体も蠢くという不幸が、いつまでも続くのだろうか。
山形県のホームページによると赤倉温泉周辺の水害は、県が予備調査に入った平成3年までには、床下浸水3戸、温泉客86人避難というものだ。その後の大雨による被害も、護岸の決壊と床上・下浸水数戸というのがこれまでの被害になっている

S62.8.28 集中的な大雨により赤倉最上荘付近の
       一般住宅床下浸水3戸の被害  
H1.8   集中豪雨により最上小国川が増水し、赤倉温泉で
         宿泊客86人が避難
H6.9.30 台風26号の通過により、床下浸水6戸等の被害が         発生
H10.9.16 台風5号による集中豪雨 赤倉温泉で床上浸 水11戸、床下浸水 7戸の被害、住民と宿泊客が避難
H14.7.11 梅雨前線を伴った台風6号により最上小国川で5箇所、支流河川で22箇所護岸決壊や護岸洗掘、赤倉温泉では内水処理ができず床下浸水1棟発生、被害額0.9億円壊等
H16.7.17 梅雨前線による豪雨により最上小国川及び支流河川で数十箇所の護岸決壊等発生、被害額2.9億円
H18.12.2627
       季節はずれの豪雨に加え、融雪が重なり床上浸水2戸、床下浸水6戸の被害
H21.10.8 台風18号による洪水で、床下浸水3戸の被害


ダム建設に向かう山形県の動きでは、当初「水貯めダム」というものだった。現在は「穴あきダム」として変更になっている。ダムによらない治水という漁協の意見をはじめとした「意見や批判」によって変更におよんだものだろう。

H36 予備調査(県単独事業):地形・地質調査、治水計画の検討→H6.8「最上小国川ダム事業計画書」を策定
 洪水調節、流水の正常な機能の維持を目的とした「水貯めダム」(堤高56.5m、堤頂長530.0m
   ↓
H23.11ダム全体計画の認可:洪水調節を目的とし、平常時は水を貯めない「流水型ダム」(堤高41.0m、堤頂長143.0m

被害にあっている赤倉温泉地区の状況から、ダムによらない治水でという漁協の意見は十分に検討されたのだろうかと疑問に思う。山形県のやり方をみて、熊本県の川辺川ダムを思い出した。「ニセ承諾書」を了解の資料として通用させ、ダム建設ありきの結論を誘導したこともあった。不条理の積み重ねで後世の自然界に傷を残すようなことはやめるべきだ。数年前に止まった瀬見温泉の旅館に資料が置いてあった。地元の小学校では、小国川に生きる生き物を観察して、生態系を理解する教育をしている。こうして、自然の環境がつぶされていくのを、黙視してはならないだろう。これは釣が好きだということだけでない共通の財産なはずだ。

草島進一氏のブログから
…昨年末の漁業権更新について、県はダムを前提としたものではないと言及するものの、全体像を踏まえれば、明らかにダムを承認させる協議の場に漁協をつかせるために、漁業権更新時をとらえ、認可権を脅しに使い協議を迫った実態があります。吉村県知事は、12月24日の記者会見において、ダム建設と漁業権の認可との関連性について「ただ、まったく繋がっていないというのはあたらないと思っています」と関連性を認めるかのような発言をしています。

漁業法は、本来自由に任されている漁業に、漁業調整(漁場の総合利用漁業法による漁業生産力の発展)を目的として公的に介入している法律…







2014年2月23日日曜日

アユ釣りのメッカ最上小国川を自然のまま残したい

 「ダムはいらない」と板張りの看板に書かれた文字が、瀬見温泉の入り口にあった。故郷山形県の瀬見温泉は舟形から小国川沿いに鳴子方面に行く途中にある。看板を見たのはもうだいぶ前だったが、温泉手前の橋から見える流れを見て、アユつりには良い川だろうと思った。しかも流れに入って釣るにはもってこいの川相をしていた。それから何気なくこの川のことを気にかけるようになったが、ひなびた瀬見温泉に来るたび、橋から覗いてみると、広い川で伸び伸びと竿を振り、アユを釣っているところも見かけた。

 その最上小国川で、ダム建設に反対している漁協組合に漁業権更新の時期が来た。昨年の暮れに「公益上の配慮」を認めないと更新しないという山形県の圧力がかかった。「穴あきダム」を建設したい山形県が、漁協に邪魔をするなというわけだ。あまりひどいやり方を新聞もこの事実を書いた。相当の反響があったらしいことは山形県の対応でも知れた。

 浜松労釣のAさんからの連絡もあって、何等かことができないかと相談をしているところだった。結局今に至るまで具体的なことはできなかった。山形県のちょっとえげつない対応もあったが、漁協は協議には応じるがダムによらない治水を求める姿勢はかわらないという文書を県側に回答した。漁業権は問題なく更新された。
 ところが210日に沼沢組合長が自死されてしまった。29日に「釣りと環境」というテーマでシンポジウムがあった。そのとき最上小国川の事情を聴いていたから、なおさらショックを受けた。

故沼沢勝善氏が山形県の協議会で述べていたこと
 「最上小国川は、ダムのない川であるが故に、ことさら『清流小国川として広く知れ渡り、最上町と舟形町のかけがえのない観光資源であり、流域の人々に計り知れない多くの恵みをもたらしていることは誰もが認めることであります。
 小国川漁業協同組合は、川に生息している魚族の生態系を守る事及び繁殖保護に努めることを使命として、永年努力しております。ダムが造られれば、これまでの自然環境に変化を及ぼし、特に河川の生態系に悪影響が及ぶことを回避することはできません。
 生息している魚族の生態系を守り、これらの増殖保護を行いながら良好な漁場を維持していくことを使命とし、豊かな自然環境を後世に引き継ぐため努力している私共小国川漁業協同組合は、ダム建設を看過することはできないのです。
 小国川に育っている魚種は、質、量とも一級品として多くの人々から認められ、自然豊かな素晴らしい川として羨望され、たくさんの釣り人が訪れるのです。恵まれた自然環境は、人の手によって造られたものではありません。多くの豊かな漁場があり
清流小国川として広く世間に認められている大きな観光資源を未来に引き継ぐためにも、最上小国川の治水対策はダムに依らない対策を要望します。」

友鮎釣りのメッカ、最上小国川を語る。釣り名人 伊藤稔氏 他






2014年2月22日土曜日

メダルが取れればいいわけではない。

 浅田真央選手が泣いたのを批判する人がいるのだとか。そういうときに、泣こうが泣くまいが大きなお世話じゃないか。うれしいことにつけ悲しいことにつけ泣く、年をとったらよけいにしかも勝手に流れる。人によって尺度の違いがあるだろうし、どこからまでは涙を流すなという規律など成立するわけがない。メタボのように平均的な物差しを無理やり当てはめるのは合理的でない。

 よく転ぶからでないほうがいいという、オリンピック精神からは度外れた精神の持ち主は別にしても、だいたいメダル獲らなきゃダメみたいな雰囲気で、緊張を高める結果に陥るのはいかがなものかと思う。選手たちがのびのびと競技を「楽しむ」ことができるのでなければ、世界中の人たちが楽しむスポーツとしては成り立たない。さる番組でメダルを撮った経験者が、メダルを取ることによって、予算がつくと話していた。荒川静香もスケート施設を拡充するために活動していたが、国の予算の使い方はお粗末極まりない。今回メダルを手に入れた選手も、手弁当で練習を積んだ人が結構いる。金メダルで300万円の報奨金が出るのだそうだが、海外での技術取得、練習にも相当の費用が掛かるだろう。「恵まれない環境から這い上がってオリンピックでメダルを取った」というお涙ちょうだいものが、いつまでも横行するようではなさけない。

 新都知事がソチに出かけた。もちろん税金で行ったのだろう。何を見ようというのかは知らないが、ソチの「公共事業」も的にはなっているだろう。2020年のオリンピックは、業界には「首都大改造」の言葉が飛び交っている。大企業先行型のオリンピック招致事業ばかりが、膨れ上がるのをマスゾエ氏はコントロールする気はないようだ。浅田真央がSPを失敗したのは残念だった。でも、自分が構成して成し遂げたというフリーの結果は、素晴らしかった。終えてからの泣き顔とそのあとの笑い顔はよかった。選手が報われるのは、メダルばかり求めるということだけではないと、改めて思った。


結果不振選手批判はブラック企業の論理為末大学 オリンピックを考える









2014年2月21日金曜日

熟年トリオの旅はお開き

 最後はやはり金町の「自慢」を紹介するのが穏やかだろう。雪との戦いを余儀なくされているときに、楽しみばかりで見て歩くのもいくらかの引け目を感じないわけではない。もうちょっと入り込んだ写真が撮りたいと思って、蕎麦所「草々」さんご主人と話した。「雪でねー。雪かきの人くらいかね」と返ってきた。御多分にもれず人口が減り、外からの移住者も迎える制度もある。空き地に交流施設やら、展示施設やらが町の力で増えている。小さな行事計画をつくって観光客を呼ぶ…。

 オリンピックを承知して首都大改造などという絵空事は、ここには関係ない。まして「アベノミクス」の恩恵などこれっぽっちも見当たらない。いいよ、そんなものがないシコシコとしたかわいい街でいいと、出身の資格を持って勝手に思う。もう少し入り込んで写真を撮りたい。先輩方はまたいろいろだろうが、お開きのまとめはそんなところだろうか。



いつも立ち寄る蕎麦処 鳥そば、板そば700円
もちろん美味しいし、量もあってうれしい。


向かい側で気になるお店 この雰囲気がたまらない

ここも金山町中 町中のオブジェ 





ここは肘折温泉銅山川 銅山川のオブジェ
















2014年2月20日木曜日

杉は金山町のキーワード

 山形県最上郡金町は、杉を重要な産業として利用している町として、目立つ存在になっているはずだ。はずだというのは、他に聞いたことがないからだけれども、しかし町の中を彷徨するにつれて、杉の存在が重要視されているのがわかる。表に出てくる数少ないお土産店の商品もそうだし、町ももちろん宣伝に努めている。

 杉を大事にしようと、町役場近くの金山川にかかる橋も、道路のわきに並行して「木ごころ橋」を杉材で造っている。ベンチも設置して散歩道、寄り場となっている。それに住居の建設には金山杉を使って、切妻造りにしたものに補助金を出すということまでして、街並みを守っている。そこが気に入って何回も来ている所以だ。




















2014年2月19日水曜日

カッカッカーのカッカッカーの顛末

 山形県上山市の「かせ鳥」が「奇習」と呼ばれているが、奇習の意味は素直に珍しいという解釈でいいが、「奇妙な」風習という理解で行くとどんなものだろうか。明治の「廃藩置県」のために、藩の「悪しき風習」がいわば弾圧された歴史を持つなら、「奇」と表する意味合いもなんとなくわかるような気がする。まあ、考えすぎかもしれない。

 上山城を起点に城下の温泉街を回って歩き、「カッカッカーのカッカッカー」とのみ声をあげる仕草はなんとも「奇妙」には違いない。当日は氷点下だから、水をかけられると湯気が立つほどだ。情け容赦なく、「火勢と稼ぎ」としての「かせ鳥」に水をあびせかける。この水をかけられるほうの30数名は、各地からの有志とのことだ。秋田の西馬音内盆踊りもそうだったが、伝統行事も助っ人があって成り立っている。能登の「間垣の里」の間垣保全にも金沢大学の学生グループが手助けしている。日本の文化、伝統がこんなふうに支え合って成り立っているのがわかったのは、写真ヤの旅のおかげだ。



















2014年2月18日火曜日

瀬見温泉から肘折温泉へハシゴして

 214日、チイさんが夜半から体調が悪くて朝食を食べないで寝ていた。早く帰るかと相談をしたが、チイさんは大丈夫というので、川の風景を見ようと瀬見温泉に行くことにした。小一時間ほど走って陸羽東線の瀬見温泉駅に行ったら、ちょうど10分後に上りの列車が来るのがわかった。駅で待ち構えて駅に入ってくる列車を撮ることにした。レールが雪の下にめりこんでいる。

 二両編成で、あっというまに行ってしまった。乗り込んだお客は2人だったか。駅舎は小さくて、映画にでもでてきそうな、改札もないコンパクトなものだ。サッシのドアを開けると線路がすぐあって、跨いでわたると反対側がホームになっている。片側だけしかない。

 温泉街の木造の古い旅館は朽ちてしまいそうなところが、まだ現役で稼働しいているようだった。この温泉はこの先続いていくのだろうか、余計な心配をした。見つけた地蔵が雪をかぶっている。小さな瀬見温泉を一巡りするのは造作ない。あっという間に済ませてしまった。

 帰りの新幹線までには時間がありそうなので、足を延ばして肘折温泉まで行くことにした。カーナビの設定では37キロだから、たいしたことはないが、途中の道を少し違ったせいで1時間以上かかった。途中の道路には確かに雪は多い。多くても、肘折温泉は1200年の歴史を誇っているところだから、雪が多くても、孤立するようなことはないのだろう。

 キンイチさんが腹の具合が悪いという。いつも行く蕎麦屋では、チイさんは月見そば、キンイチさんはたぬきそばを頼んだが、二人とも全部は食べられない。昨夜の食べ物でなにか影響があったのかと思えるが、わからない。自分も今朝の通じではやけに腹が張った状態だったから、いつもとの違いを感じてはいたが、ひとりソバを平らげた。肘折温泉の中央を抜ける通りは、おみやげ屋はやっているが、雪かきをしている人はいるものの、お客の気配はない。旅館の屋根から落とされた雪がちょうど排水溝の蓋の上に、想像以上の音を立てて落ちていた。




瀬見温泉




肘折温泉







2014年2月17日月曜日

真室川から銀山温泉

 213日朝チェックアウトの前に、昨夜断念したNET接続設定を、フロントで聞いた。「使用書」を渡されて、ドライバーのインストールをしなければならないような感じで、どうもよくわからない。皆が帰る支度ができてしまったので、やむを得ず終了することにして、会計を済ませて外出る。ホテル近くの金山川で最初の撮影をして、流れのずっと下流にあたる真室川へ行ってみることにした。流れがずっと太くなって橋の上からの眺めがいいところだ。途中、昨日探しきれなかった「朝陽の撮影ポイント」の場所がもしかしたら、逆の道かもしれないと思いだし、昨日曲がったところとは反対方向に行ってみた。ありましたよ。最近気になっているけど、記憶が真逆になっていることがあって、いよいよかなどと、悲哀を感じることがあるのだが、ともかくもこれで気がかりなことが解消した。

 前回の撮影の時に宿泊した梅里苑の下、真室川にかかる橋まで行ってみたら、案の定なかなかの景色で満足した。ちょうど山に陽が入ってきていて、見栄えがよい時だった。一時で冬に景色は変化していくから、ちょうそれおも計算に入れることも必要だと、先輩が教えてくれた。金山町中心部にとってかえして、蕎麦所「草々」に寄ることに。朝方そこの脇を通った時に、暖簾が出ているのが見えていたので、役場に車を止めてから向かった。

 12時前でまだほかの客が誰もいないときだったから、しばらくぶりのおしゃべりをして、写真コンテストに出したことなど伝えた。「金山の応援団」は手帳を持って来ればそば代も100円引きになるということだった。そういえばもらってあったなと思い出した。そこからは瀬見温泉に回るかどうか考えたが、時間がきつくなるようなのでやめて、宿泊地の銀山温泉に向かうことにした。

 旅館は温泉街の奥の台地にあった。温泉街には、坂を下りて7.8分歩かなければならなかった。一息ついてからカメラを持って出かけたが、ちょうど雪が降ってきて、カメラを濡らさないようにしなければならなかった。まだ時間が早いせいか、人の姿はあまり見えない。宿泊の旅館はやっと抑えることがで。きたというから、客はたくさん来るのだろう。新しい感じのお土産屋と、内装を変えた古い旅館、古いまま朽ちていきそうなところもある。相変わらずのたたずまいをみることで、変わらないでいる安心感を生む。

 来たのも数回になったが、昔の「らしさ」が少しずつ変化しているのを実感する。バスが温泉街に運んでくれるというので、夕食の酒は控えめにして備える。バスに運ばれて、またしても降り始めた雪のなかを、撮り歩いた。一緒に行った若者隊は元気で写真を撮っては騒いでいた。浴衣のままで厚めの羽織を着ている勇者もいる。そちらのほうも、おかしそうだったが撮るのは控えた。散策していた我々の外は、温泉街の客たちは表には出ていないようだった。雪がドカドカと降っているのだから当たり前のことだが、表には出なかった温泉客の見世物になっていたようで妙な気分だった。













2014年2月16日日曜日

お気に入りの金山で

 212日朝、葉山旅館の車で駅まで送ってもらって、新庄駅まで「各駅停車」新幹線で一時間ほどで着く。トヨタレンタカーで手続きをして金山を目指す。しかし、かつて早朝の日の出を撮ったところが見つからない。二往復してもわからない。どこか間違って記憶していると思ったが団体行動だからあきらめて、走っているうちに材木工場に行きついた。撮り始めた当初は昔来て撮影し、写真展に出したところとは違うと思っていたが、どうも同じらしい感じがしてきた。金山町の貴重な産業であるスギの木に加工だ。材木の種類も量もたくさんあって、圧倒される感じがした。3人で思う存分撮って、昼食にしようと蕎麦処「草々」に言ってみたけど、のれんが仕舞い込まれていた。

 やむを得ず、依然入ったことのあるところで、チャーシュー味噌ラーメンを食べる。野菜がたっぷり入っていて、チャーシューも旨い。味が良いので汁を半分も飲んでしまった。普段塩分を控えめにといくらかは気にしているつもりだが、旅の場ともなると抑えが利かない。すっかり暖かくなった。

 金山川から引き込んだ分流にかわいい堰を設けて、温かい時期には鯉を放流する、ほんとうに小柄で可愛い「大堰」に行く。いつものコースで住宅地をずっと回ると、路地沿いに流している水路にたまった雪を運んでいる人がいる。声をかけると気さくに話をする人は多い。切妻造りの瀟洒な家は、大きくて隣の棟に行く渡り廊下をくぐった時に頭をぶつけたと、奥さんが話しかけてきた。見知らぬ輩が通っても、気さくに話せる土地柄がいい。

 「きごころ橋」に回って、橋のたもとの酒屋で地酒を仕入れる。10分ほど車で走って、山間地に立っているホテルへ。ふろに入ってから、ビールと地酒をちょっと飲んですぐラウンジへ。食事のときは日本酒熱燗2本で仕上げ。部屋に戻ってから選挙の話に花が咲いてとうとう前日の残りの酒と地酒を開けてしまった。それで、日の出の撮影は断念となる。

 話しながらブログのネタを構成し終ええてフロントへ行くが、NETにつなげられない。NETは通じるとあらかじめ聞いていたので、簡単にできるだろうと思っていたが、うまくいかなかった。おまけにブロードバンド接続を選択してしまったためにそちらに誘導されてしまってうるさくて仕方がないから止めた。




2014年2月15日土曜日

雪は昨年よりも少ないと言う地元の人。無線LANが使えずにブログ休止。

 いつもは旅先の駅でレンタカーを使うところ、今回は駅にないということで、タクシーで宿泊先に行ったが、駅に降りた途端にレンタカーの店が目に飛び込んできた。旅行会社は、端末で情報を管理しているのだろうが、更新が行き届いていないのだろうか。タクシーの運ちゃんによると、レンタカーの店は2件という。4.5年前からあるというから、情報が管理されていないのはおかしい。単純なミスなのだろうか。

 ともかく後の祭りだから、今朝は上山の駅まで、旅館の車で送ってもらった。新庄までは一時間。雪の量が違っている。道路上は雪かきが行き届いているが、道路わきには背丈ほどの雪が積まれている。金山町に近づいて、いつも眺める高台からみてみると、やっぱり雪だらけで撮ろうかというところがない。街中に入り込んで軒先のツララやら、干し大根を撮って、冬の写真になるかと回って歩いた。

 ひとしきり回ってから、真室川の台地にむかって、前回日の出を撮ったところに行こうとしたが、道路の雪の壁のせいか場所に到達できずに、あきらめることになった。今回の撮影の本命の金山町では、「小さな観光地」を巡ったが、地元の人が懸命に雪かきをしていた。これまで何回かきているところだが、やっぱり雪の時には違った風景が見える。よそものの見た目との違いがあるのだろうとも思うが、ここは観光客の目で撮らせてもらった。旅の二日目の金山のホテルではNETがつながると聞いていたが、夜10時過ぎになってフロントでやってみるが、つながらなかった。

















2014年2月12日水曜日

かせ鳥の奇祭を楽しませてもらった

 上山温泉街を回って歩く「かせ鳥」行事は、江戸の大火災の時、火食い鳥が空を舞って火災を広げたように見えたことから、鳥に水をかけて火を止めるという「火伏せ」の意味があるとされる。家内安全、商売繁盛、火の用心、五穀豊穣を祈っての民族行事として伝えられている。明治時代に藩の行事だからということで廃止になったものを、昭和34年に有志が復活させ、毎年今の時期に催されている。

 そんな歴史を少しだけ気にしながら、上山駅からかせ鳥行列のコースを追いかける。上山城から出た行列が温泉街に向かっているという情報を聞いて、コースの逆から回り込んでおいかける。いたいた、軽自動車に乗って太鼓をたたくおかあさん。後をくっついて歩きながら笛を吹くお兄さん。「かせ鳥」たちは藁の衣を着、藁靴を履いて踊る。なにか唐傘の一つ目小僧のようないでたちだ。かせ鳥たちは、この寒空に水をかけられて鳥肌が立っている。まわりは面白がって騒いで笑っているが、みんなを楽しませようと、一所懸命に踊る。旅館の門前を回って歩きながら、願いがかなうようにと踊る。大変な役目だ。

 待ち構える店の人、子供連れの家族もバケツの水を汲んで用意し、柄杓やオタマまで使って、かせ鳥に水をかける。そのうえ、かせ鳥が纒っている藁を抜き取って、縁起物として提供しなくてはならない。子供たちも大人も踊りの休みの時によってたかって藁を引き抜く。女児がこの藁で髪を結うと黒髪豊かな美人になるという言い伝えだ。奇抜な祭りがあるものだと思いながら、上山駅の休憩地点までついて行った。カメラを持った人たちが、よい場面を写そうと祭りの関係者のようなそぶりで、一緒に行動しているのもなにか可笑しい。

 昼食には掛けそばにモチを入れてもらって、温まった。少し早かったが旅館に行くと、もう部屋に入れるということだったので助かった。2時過ぎに旅館の前にかせ鳥が来るということで、一服したあとまた続きの写真を撮ることになった。
 「かせ鳥」はその意味が「火勢鳥」にも「稼ぎ鳥」ともかさねられているとか。だから「かせ」が仮名なのかと納得。雪の晴れ間に恵まれた日になった。












2014年2月10日月曜日

釣りと環境シンポジウムに60人が参加

 「釣りと環境シンポジウム」があった。福島県の川内村で釣った渓流魚を検体にして、放射能汚染の状況を調べようと取り組まれている。地元では環境の汚染状況から、釣り客を呼べない状況になっている。生活にはもちろん、観光も食に関わる問題にも過酷な現実が襲い掛かっている。釣りを志向する方にとっても、安心して楽しむことができないで、頭の隅にいつも「汚染」を心配しながらやらざるを得ないという状態におかれる。

 行政もはっきり言えば「隠し立て」する方に力を注いでいるから、風評めいたことが伝播していくことになる。シンポジウムでは、渓流の破壊をもたらすダム建設の問題にも触れられて、自然の環境破壊に対する脅威がなんらの反省もなく進められている現状も触れられた。釣りにかかわる業者の方や、渓流の釣りの専門の会の方も、今後の成り行きについての懸念が述べられていた。

 原発はない方がいいと、誰しもが考えている。その声は圧倒的でも、「安全なら…」のような仮定形の主張が現実には幅を利かせている。そんなときに特に山合いの放射能汚染を考えてみようという試みは適時を得ていると思えた。自然と戯れる権利が侵害されているという弁護士さんの話もその通りだと思った。法的な訴えのほかに、ソフトな面での意見交換は有意義だったし、今後もずっと考えていくべきものというより、やらざるを得ないことになるのだろう。そういう荷物を負わされている。





2014年2月9日日曜日

雪が何かを呼んでいるのかも

 雪が積もった。日常生活には降雪に共感するということはないだろうが、雪を楽しんでしまおうとか、観光の対象にしてしまおうとかということは、共感の一部なのだろうか。お隣さんの若奥さんの雪かきもそんな風だった。毎年雪と戦うところは、本当は辛い思いがいくらでもあるのに、逆手にとって楽しんだり笑ってしまおうとかするのは、人間の知恵かもしれない。

 選挙運動は人を活気だてるところがあるようだ。まして雪が降っているときの最後の訴えとなれば、熱がこもる。雪が何かを呼んでいるのか…。昨夜は池袋に一仕事あり、帰りに新宿駅を通りかかった。











2014年2月8日土曜日

自然は人間をはぐくむと気づく若者

 「マンモス防潮堤が攻めてくる」というFacebookのページが見られるようにセットした。税金8000億円を投入して東北沿岸部に巨大な防潮堤がつくられようとしていることを考えようという趣旨だ。
 
 「防潮堤は100年に一度あるかどうかの”非日常の論理”で考えられているのに対し、それ以外の99年と364日をいかに豊かに生きるのかというまちづくりは”日常の論理”で考えなければなりません」との言葉に感心した。続けて高校生の声も紹介されたが、これもなかなかのもので「乾いた砂漠都市」に住む者にとって忘れてしまいそうなことを想起させてくれた。

「目に見えなくても」
 阿部愛里(宮城県気仙沼市 気仙沼西高校3年)

みなさんは小さい頃、自然を「不思議だ!」と感じた経験はありませんか?

私は、土は茶色いのにどうして赤や黄色の花が咲くのか分からなかったし、砂は誰がつくってるのかずっと気になっていました。「花の中はきっと物凄いことになってるんだ!」と保育園の花をこっそりちぎって、ワクワクしながら花を解体したけど、待っていたのはあっけない頭だけでした。あの絶望感は未だに忘れられません。面白いですよね?

私とは違っていても、きっと小さいころに自然がどうしても不思議に感じたり、自分と周りの生き物が同じだと思いこんだりした経験がある人は必ずいると思います。それをセンス・オブ・ワンダーと海洋学者のレイチェル・カーソンは呼んでいます。

私は今、18歳になって、花の中身がどうなっているか教科書で説明されてしまったから、なんだか少し悔しいけど、センス・オブ・ワンダーを感じなくなってきました。少し大人になったんです。

今、海の側に防潮堤が建とうとしています。県内最大の高さは気仙沼市小泉地区の14.7mです。先月、その小泉地区を歩いて写真を撮るというシンプルなイベントに参加しました。県内外のサーファーから愛されている海。綺麗な空には野鳥が飛んでいます。小泉には湧水が至るところから湧き出ていて、「小泉」という名前の由来にもなるほど、水に恵まれた土地です。風が吹くと砂が浮いて、サァーとうねりながら風の流れにのっていきます。そうしてはじめて尖がった頭を出す貝たちに出会いました。

「こんなところでも生きてるんだ!面白い!」

砂浜に打ち上げられた貝は年齢10歳、同じく10歳の小学生の顔と同じくらいの大きさでした。小泉は貝などの小さな生き物たちの楽園で、それゆえに空には野鳥がたくさんいます。街灯がないから夜は満天の星空と、聞こえてくる波の音が最高なのだそうです。ここにたくさんの子どもを集めたらきっと、とんでもないセンス・オブ・ワンダーに出会えるはずです。

私は将来、気仙沼で子どもの感性を高めていけるような教育をしたいと考えています。別に大きいことをするわけではなく、自分の子どもやその周りの子ども達が自然と触れ合いセンス・オブ・ワンダーを感じ、自分と他人のエンパシー(共感)を感じられるような面白い教育ができたら良いと考えています。

〈続きはWebサイト→『マンモス防潮堤が攻めてきた!』に〉

続きの一部コピー

 「いろんな人のいろんな意見がありますが、見えない防潮堤に目を向けてみてください。私は怖いです。海へ行って砂浜を踏んだときのワクワクする感覚、美味しい魚を食べて育ってきた私たちには分かるはずです。私はその感覚を忘れたくはないし、味わった人には忘れてほしくもないです。そして、できることならその感覚をたくさんの子どもに感じてほしいと思っています。」

 この防潮堤が地元の意向も聞かずに、決められたことに大きい批判があって、従おうとする県に対しても、さまざまな方面から批判があがった。NET署名からの要請もあり、自民党で「見直し」の声が出ていると報じられている。しかし、一時止まった大型公共事業のダム建設もほとんどが促進に切り替えられた現状で、素直に見直しがされるかどうか。名護市長選の結果もまるで民意もなかったと同じ扱いが平気でされるのだから、監視は怠れない気がする。





2014年2月7日金曜日

都知事選、なにがおきているか、NET情報から

 新聞が載せることができない速さと、情報量がNETにある。ブログで紹介される事柄は、「アナログの世界」でもちょっと無視することができなくなっている。たしかに良いことばかりではないが、自分の知識の及ばないところを埋めてくれるものがある。
 都知事選の終盤にかかって、選挙戦が盛り上がっている。NHKが朝のニュース番組で、ソチオリンピックのニュースをトップにして延々と時間を使っている。大事なこと、知らなくてはならない情報がいくらでもあるのに、ツラッと素知らぬ顔で報道されると腹がたってくる。

BLOGOS(週刊文春)の記事で、都知事選挙の様子が描かれている。それなりの割引をしながら読んでみた。

その一部コピー
 「舛添要一元厚労相を推す自民党幹部も『こんな不思議な選挙戦は経験がない』と首を傾げています。街頭演説に集まる聴衆の数は、細川護熙元首相陣営の方が圧倒的に多い。原発即ゼロ、再稼働反対を叫ぶ度に『そうだー!』などと声が上がるなど盛り上がっている」(都知事選担当記者)
細川陣営関係者からはこんな不満も漏れてくる。

 「事務局長だった馬渡龍治元衆院議員も選挙中に解任となり、物心両面で支援していた木内孝胤元衆院議員も離れていった。彼らに近い人物たちがネットや雑誌に昔からの側近のネガティブ情報を流し、もはや内ゲバ状態。勝手連と言えば聞こえはいいのですが、要は細川さんが『よきにはからえ』の人なので、選挙を戦う組織としての統制がまったくとれていない。劣勢でも殿さま出勤は変わらず、午後遅くから2カ所を回るだけ。朝から178カ所を回る舛添陣営とは大違いです」

街頭演説でも、拍手や歓声が沸きあがる回数は細川氏よりも小泉純一郎元首相の方がかなり多い。演説する順番も、まるで前座のように細川氏が話し、真打ち登場とばかりに喝采の中で小泉氏が後を受ける、通常の応援演説とは逆のパターンが定着。その内容も、「細川氏は都民の関心が福祉や景気にあるという報道を受けて総花的に語るスタイルに変えたのが、ブレたように映る。『原発政策以外は都知事が誰でも大差ない』と言い切って脱原発一本やりで突っ走る小泉さんの方が聴衆をひきつけている」(都庁関係者)。そこで注目されるのが無効票の数だ。過去の無効票は10万票以下。「小泉」と書けば無効票となるが、果たしてその数は?


 「脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会」から申し入れのあったことについての回答をしたとFacebookに紹介された。脱原発運動の分裂を心配している人は多い。細川陣営でも、選挙が終了してから運動を続けていくとのツイッター情報もある。脱原発、原発ゼロへの道で一番適任なのは誰かが明確になってきたように思う。その道程は知事選が終わっても簡単ではないだろう。先を考える時期ではないが、原発をなくす運動の大きな流れができていくことが選挙戦の成果になって欲しいものと思う。

宇都宮けんじ・希望のまち東京をつくる会は脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会からの、都知事選候補一本化を呼びかける申し入れ書について、本日、以下のように回答致しました。
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都知事選候補一本化を呼びかける申し入れ書への回答
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201426
脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会
世話人 鎌田慧 様
希望のまち東京をつくる会

都知事選候補一本化を呼びかける申し入れ書について(回答)

 貴会から201423日付「2014年東京都知事選挙候補統一に関しお願いの件」を受領し、慎重に検討を行いました。貴会のみなさまの記者会見の様子も確認させていただきました。貴会に集まられた皆さんの脱原発政策実現にかける熱意、安倍政権の危険な暴走に対する深い懸念について、私たちも心から賛同します。しかし、残念ながら選挙終盤の現時点では、このような申入れを受けることはできないという結論に達しましたことをお伝えします。
理由は以下の通りです。

1.前回申入れ時とは状況が違う
 前回(113日)、「脱原発都知事を実現する会」から同様の申し入れをいただ
いたときは、告示前の状況であり、当方からは、オープンな場での話し合いに応じる用意があるという趣旨の回答を致しました(別紙)。それにもかかわらず、結局のところ、この話し合いは実現しませんでした。なお、「脱原発都知事を実現する会」は細川支持の勝手連として活動されているものと理解しています。
 
 今回の申し入れは、すでに告示後であり、いったん立候補した後に立候補を辞退できるのは、届出期間中(告示日の午後5時まで)に限られています。既に、期日前投票もはじまっているという状況下である点が前回と大きく異なります。いまこの申入れを受け入れることになれば、宇都宮候補にすでに期日前投票してくださった支持者のみなさん、応援してくださっている多くの支持者のみなさん、寝食を忘れて選挙活動を手伝ってくださっているボランティアのみなさんの想いを裏切ることになることとなる点、どうかご理解ください。

2.政策が一致していない
 細川候補が正式に出馬を表明し、政策を公表されたのは、告示前日の夕方であり、政策のすりあわせなどは到底不可能でした。細川候補と宇都宮候補は脱原発政策の一部において一致するものの、他の多くの基本政策において見解を異にしています。たとえば、貧困、雇用、福祉、教育などの都政の根本にかかわる政策、さらに国家戦略特区、憲法、集団的自衛権、秘密保護法、TPPなども、本来国政の課題でもありますが、都知事としての姿勢が問われる重要な分野についてです。

 脱原発が極めて重要な喫緊の課題であることはいうまでもありません。一方で、貧困に苦しみ、追い詰められている生活困窮者や、ブラック企業の被害に遭っている若者、保育所の入所を認められない保護者などの多くの都民は、貧困・雇用・福祉さらには首都圏直下型地震に対応する防災等の政策の充実を待ち望んでいるのです。東京が抱えるこれらの切実な問題に、私たちは目を背けることはできません。

3.必要とされるのは公開の場での議論
 東京が抱える問題や、それを解決するための政策について、公開の場で、徹底的に議論することこそが必要なのではないでしょうか?選挙戦での公開討論会やTV討論は多くの有権者に政策を訴え、フェアな議論を通じて、自らの考えに近い候補を選ぶための重要なプロセスです。宇都宮候補は、これを重視し、他の予定はすべてキャンセルして、すべての公開討論に出席するという方針でスケジュールを組んで臨んでいました。128日までに、キャンセルされた公開討論企画と番組は合計15件に及びました。これについては、128日に私たちとして声明をだしておりますので、ご覧ください。

 私たちは、宇都宮候補の掲げる政策に自信をもっています。多くのボランティア・スタッフが、人格、識見、政策実行力において秀でた宇都宮候補こそが、都知事に適任であると考え、日夜精力的に活動しています。候補の一本化=立候補の取り下げは、公開の場で政策を議論し、有権者が考える機会と選択肢を都民から奪ってしまうものであると考えます。

4.脱原発の結束のために
 貴会の記者会見で落合恵子さんなども指摘されていましたが、私たちはこの間の「一本化」をめぐるさまざまな論争が、脱原発に関わる市民運動に亀裂を生み、将来に禍根を残すことの危惧については私たちも共有しています。今回の申し入れを受けて、両選対同士で話し合いを持ち、今後の選挙運動において、このような事態を生じないようにしようということを確認しました。

 細川・宇都宮両陣営に加わった脱原発を願う市民が、これらの論争で生じたかもしれないわだかまりを解消し、強固な結束により、原発事故の被害者の支援と全国の原発の再稼働に反対し、原発ゼロを実現する取り組みをともに続けていくことを心より希望するものです。そのような活動の一環として、この選挙の終了後に、選挙結果にかかわらず、両候補の胸襟を開いての懇談の場を設けることも両選対の間で合意されたことを付け加えます。
以 上 
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それでは、希望の輪をつないでいきましょう!!!