2013年5月24日金曜日

デジタルプリント講座はなかなかよかった

 珍しく変な夢をみて3時過ぎに目が覚めた。トイレに行ってまた寝たが、5時に起床。ブログのネタをいくつか思いついて、メモにした。さて書こうとパソコンに向かったが、Facebookにつかまって時間を使ってしまった。そしてまた眠くなってきた。

 ちょうど食事時なって休憩。食事のとき爺がせきこんで、気管支の奥から出ているような咳をしている。不快そうだ。ブログを書き込んでから、デジカメプリントの編集で宿題になっている、絵葉書づくりに入りたかったのだが、それは午後になってしまった。

 急いだためか、絵葉書用の写真編集ができたのに、プリンターがうまく動かないでまいった。5枚用意するものが3枚しかできなかった。2時半にでかける寸前でこの有様だ。学校時代の「直前主義」がまだ生きていたかと可笑しかった。

 デジタルプリント講座は今日で終わりで、A2の大型写真のプリントが土産になった。講座でさまざまわかったことあり、収穫だった。基礎講座から研究科へという道もあるから、考えておこうかと、やる気がでてきた。撮影したものを編集することで、格段のよい写真ができる。撮影の折に天気が悪い場合でも、それなりの明るさやら彩色やら、コントラストなどで調整することで、いいものに仕上がる。従来のフィルム現像でやれることとほぼ同様なことができるわけで、これが自宅でできるとなれば、パソコンは強力な写真ツールとして使えることになる。が、金もそれなりにかかる。



「人生のディナーを召し上がれ」


 522日のNHLKで放送された「人生のディナーを召し上がれ」をFacebookで、話題にした人がいた。癌で余命わずかな患者に食べたいものを準備するという終末医療の話。身の回りのことが自分ではできなくなっていくという中でも、明日はこれをするという希望を引き出すことで、できうる質の高い生活を求めるという。

 いつまでも「希望」を持ち続けて迎える終末は、そのときにあたって一番のことのように思える。そうありたいと思うことだ。希望を持ち続けることは、エネルギーが必要だけど、生き続けるための大きな糧にはなる。


 身の回りの様々なことは、あまりそのエネルギーを湧き立たせるものは少ない。日本の在り方と身の回りの生活の改変を問う事柄が次々に起こってくるが、そこから希望を見いだせることはあまりにも少ない。人間が切り開いてきた叡智が手際よく身の回りに届くようになるには、どのくらいかかるのか。競争社会に偏重した社会が生み出す膿で全部が重篤になる前に、なんとかしようという「希望」に縋る以外はないのだろう。