2012年10月18日木曜日

デジタル社会で写真を残すには


 銀塩の印画紙といってもなじみはないが、フィルムに撮影した写真を暗室でバライタ印画紙にプリントすると言えば、イメージが湧くかもしれない。現在はデジタルカメラが主流として振るまっていて、暗室で現像などということは全くもって知らないことに追いやられた。

 富士フィルムがこのバライタ印画紙の生産を中止してしまった。バライタ紙は、現像するときには諧調の広さによって、写真の表現の深さを表現することができる。つまり表現が豊かになるので、デジタルの表現よりは味わいが深くなる。これが無くなってしまうとなると表現する側にとっての影響は大きい。

 現実の写真(模写)がどれだけ真実に近いものになるかは、永遠の課題だ。芸術となると違った論議になるからさておくとしても、自分が感動して撮ったものが、より豊かに印画紙にのってくるのは許容されなくてはならないだろう。なぜなら、それでも被写体となったものとのズレはなくならないから。


 もうひとつ重大な問題なのは、デジタルの画像の保存する場合、100年、200年のスパンで残っていくのかということ。画像の記憶媒体はめざましく変わっていく。3.5フロッピーから、CDDVDと変遷を重ねている。この媒体が、100年後に使えることは考えにくい。

 写真は、写真の趣向者やプロが記録していくが、媒体変化に対応した記録作業が可能なのだろうか。素人やセミプロ、まして携帯電話やスマートフォンなどで撮影したものが、その場限りで消えて、優れたものが残っていかないことになるのではないかと心配だ。

 銀塩写真では、有名な「坂本竜馬の写真」が150年残って存在している。素敵な写真、感動的な写真、記録写真をどうやって残していくか、「みんなの財産に」するための方策を考えなくてはいけないだろうと思う。