2012年4月20日金曜日

釣りの楽しみは深い

 つりの名人というとご本人は遠慮されるが、話を伺うとまさに超人的という以外に考えられないKさん。その釣りの体験をこれまでもちょくちょく教えていただいた。


 自分が釣りをしていて、素人から抜けでていなかった時には、釣れないときには「魚はいない」とすぐ決めていた。それが普通だと思っていた。しかし、釣り大会などで一堂に会して釣りをすると、多く釣る人が必ず出る。


 名人になると多くのどんな時(寒暖、風雨)でも。釣り上げる。それだから、「魚はいない」という言葉は使えなくなる。釣る哲学というべきものが身について、その豊富なつり体験と蓄積された技術にはちょっと及びもつかない。


 魚種による習性の違い、時期、釣り場の状態、時間、餌、仕掛けの選択など、あらゆる条件を準備してとりかかる。そのうえでの「釣り感」発動だ。さかなの好みを刺激して、針を魚の口にくわえさせる(蚊バリでの釣り)というに至っては、まさに自然界との同化だという気さえする。


 つりの楽しみが深いのはこういうことかもしれない。今日は、自分がなれそうもない釣り名人の体験談を聞いて、もうひとつ釣りの楽しみが深まって満足した。そして、こういう楽しみと、ただでさえ環境が壊されている自然界に、放射能汚染をまき散らした所業と政治の対応に、また怒りが湧いてきた。