2012年12月31日月曜日

一年間、パソコンのファイル整理は進んだ

 今年一番進んだのがパソコンのファイル整理。体系別に分けて、外付けのHDDの写真以外はクラウドを使って、NET上に保管することにした。これで、自宅以外のどこへいってもネットの環境さえあれば、ファイルを参照できることになった。

 自己の生活や記録関係、釣りの会、写真、新聞の切り抜きなど、体系ごとにフォルダーを作って並べて整理した。それを、3種類の「ドライブ」に分けて保存した。ここまでくるのに、散らかっていたファイルが相当整理された。実はファイルをどれだけ利用しているかと言うと、そう多くは使っていない。更新しているものは限られたものなので、それは集中して管理するようにした。

 これで懸案の課題は完成したかとほっとした。ところが、このクラウド上のファイルは、業者の保存体制によっては無くなってしまうこともあると、2.3日前のテレビで報道していた。せっかく苦労して整理したつもりが何たることか。

 でも、NET上に置いてあるファイルはパソコンのファイルと同期しているので、大丈夫なはずなんだが…。NETを切断して実験してみると、Skydrive、Nドライブも参照するのは大丈夫のようだ。Googleドライブは、オフラインで更新を保存をしている。

 撮影した写真のファイルは外付けのHDDで、保存するうえでは一応心配はないが容量が多いので、NET上に全部を保存するわけにはいかない。HPなどで使用する直近のファイルだけをコピーして載せることにした。整理の結果は外付けファイルを除いて、55.317Gとなった。

2012年12月30日日曜日

いろいろあっても、続きが平穏ならいい


 いよいよ押し詰まってきた。年末の区切りのときだから、「反省」めいたことを現役のころはよくやった。今は勤めがないから、せいぜい決めた日課が無事に済んだか程度の反省でいいのだろう。
 
 まあ、一年の間では勢いが少し衰えたものの、ウォーキングもこなしたしブログも躓きはしたが、止めることはなかった。日記は、つけたからいつもの年とは変わらない。Facebook6月に始めて、選挙中にSNSで交流したのは新しい経験になった。新しい体験でまた「今」を見返すことが刺激になった。デジタルの世界も、現世から分離独立しているわけではないことははっきりした。

 イワナつりは、ごく近所の岩手山麓の小渓流を回って歩けたのが、なによりだった。ただ、小さな沢だけに、再生能力が大きくない。続けてやるのはまずいだろう。遠野のイワナ釣りにはいけなかったし、釣りの会の行事には、ほんの数回行っただけになってしまった。

 中野の爺さまが、心筋梗塞で一時危篤だったのが、今は回復した。駅近くの新しい病院には爺に加えて、ばあ様も世話になって、何回か通うことになった。今は小康状態が続いてい。600キロ離れた岩手山麓の仙人は、腰痛が治らずに痛みを抱えたまま年を越すことになった。医者に行ってはいるが、はかばかしくないから張り薬だけ。大きい病院をと言う話をしたが、いやだと言って動かない。

 もっとも、行っても治る保証があるわけではないし、痛みはあってもたち振る舞いが何とかできる状態なら、よしとすべきものか。

2012年12月29日土曜日

社会の有り様が釣りの邪魔をする


 しかし、釣りといえども「釣ろう」という気概が大きい場合は、情報抜きに勝手気ままにと言うわけにはいかない。最近特に実感するし、自分に限らず誰もが「釣れる」との情報を頼る。魚が釣れなくなっている事情からで、もっとも主要な原因は自然の改変だ。

 埋立ては東京湾の場合でも、非常な悪影響を及ぼした。これを普通悪影響とは表現していないが、例えば神奈川県にある水産試験研究センター(独立行政法人)では、魚貝類の種苗放流を続けている。アマモの増殖で幼魚の育成場を造成している。この状態からして、かつての東京湾にどれだけの漁獲高があったのかを想像すると、「悪化」程度を推し量ることができるだろう。

 我が社会では「少子高齢化」などと称しているが、海の中では、生物がものによっては自力再生不能な状態にまでなっている。代替えで得たものはあるのには違いない。だが、失ったものは大きい。海の匂いが、いまはしない。残った漁業者はわずかだ。
そして、政治執行のうえでは、ほとんどなんの考慮も払われない。

 食に関わることでこうした有様なので、当然釣りで魚を確保して楽しみつつ食するという文化は、手に入りにくくなっている。つりの腕前の違いも当然あるが、それだけではすまない問題を抱えている。三陸のあの津波は、とてつもない被害をもたらしたが、海水が入れ替わり浄化されたことで栄養分が豊富になって牡蠣の成長が良くなった。自然が持つ脅威が海の豊かさを同時にもたらすことになったのは皮肉なことだ。

 種苗放流とは必要かくべからざらことと思う。だからそれでいいということにとどまらないで、自然の生態系を崩してしまったことへ思いを至らす必要はある。そして手を打ちたい。いまの政治に期待することは、夢より難しい感もするが、またぞろ「公共事業第拡大」で資金が投入されて、自然の体系にツメを立てることになれば、海、山、河川に生きる生物は、絶滅か絶滅危惧種にカウントされることになってしまう。

2012年12月27日木曜日

釣りをきままにやりたいが、そうはいかない事情が。


 釣りが好きだからと、自分の思うままに出かけていくのが自由で、争いもなくていい。だいたい、なにをやるにしても面倒に感じるようでは人様にかかわり合わない方がいいのだろう。頭の中でそんなことを考えながら、でもまてよと一方でまた考える。思うままにやっていて、すべてがうまくいっているのかどうか。やった始末が思う通りの結果になったのかどうか。

 昔使っていたようなタライに、水を入れてかき回して洗濯機のように回す。そこにハヤ(ウグイ)を入れると、ハヤは川で泳ぐように流れに向かって泳ぐという実験があった。数尾のハヤは、相前後しながら泳ぐ。ところがその泳ぐ位置が定まらない。ようするにブレて泳ぐ。そこで、タライに棒をたてると、その直後にハヤは定位置で泳ぐようになる。ハヤが棒を見て、「立ち位置」を決めるわけだ。

 押すも引くも、自分が好きなようにできて、一見大きな自由を手に入れているとおもいきや、よそから見たら、その所作がブレまくっているとしたら…。

 ものごとの様々な処方は、身の回りや少し離れた所にはいやというほど存在している。それから隔離されることになっては、知っておいた方がいいことも、解らないまま過ぎていくことになる。とはいえ、そういう選択をしても犯罪と言うわけではないし、人に迷惑を及ぼすことでもない。否定しつくすのも理に合わない。それなら多少なりともかかわりがあって、触れてみたり引っ込んだりしながらやるというのも手かと、頭の中で「自由、勝手気まま」に思う。

2012年12月25日火曜日

パソコンは友達


 昨日、日にちが分からなくなった。日曜だと思っていたら、月曜日だった。今日は格別寒くて零下11度だというので、タオルを水でぬ濡らして表へ出た。振りまわすとすぐに凍ってウサギの耳のようにピンとたった。カメラに収めてFacebookに載せた。北国の人も多いので、珍しいことではないかと思ったが。

 以前ブログにも乗せた記憶があるので、また載せるのもいかがなものかと、頭をめぐらせながらブログの下書きをはじめた。相手を特定しないブログといえども、相手の顔を想定して書くのだからそれなりに面白い。学術的だとか専門の知識はまず不足しているわけだから、なにを書いているのか?と、言われると弁明も思いつかない。

 そんな恐怖をかかえているのも、ブログを続けているうえでは仕方がない。書き続ける我儘に、読んでもらう付き合いを求めるわけだから立場は悪い。人間多少の緊張感がないと、健康も保てないし生きていくのに必要なことだと言い聞かせる。

 故なき批判や悪口は控えて、愚痴もなるべく避けて、面白く書きあげられればそれに越したことはない。しかし、それが難しい。人の健康に付き合わされる方も迷惑かもしれないが、そう思いつつも続けるとなるとこれが、ストレスになって不健康を呼ぶような気がするところもある。パソコンチェアーに座ってブログを書き始めると、事務的な感じが余計するのかもしれない。

 やわらかなソファー風の椅子で、ノートパソコンを膝にのせて、ゆったり構えるとなかなかよい。脳の動きも、姿勢によって違った働きをするのだろうか。そう、脳だって働き心地がいいほうがいい気に決まっている。もう少し働いてもらいたいと常々思っているところなので、環境に配慮してあげなくてはいけない。頭が想像することに疲れたら、ウォーキングに行って自然の刺激をうけてやろう。

2012年12月24日月曜日

夢をまた見よう

 夢は実現させたい。たとえ小さいものでも、いつも持っていたいことだ。とても実現しそうもない、なかなか実現しないものだという現実的な経験して、夢を見ることをやめたら、どこかの誰かにつき従うことしか道がなくなるのではないか。

 物事は変わっていかないと困ることがいいやというほどある。これは生きて普通の生活をしていくことが難しくなったからだ。時間を重ねるごとに悪くなっている。次世代の子供たちが、普通に就職し、普通に独立することが困難になっている。我々の時代には就職はさして難しくはなかったが、今はそうはいかない。こんな社会を作ってきたのは、自分たちの責任でもある。

 なにより政治の影響に寄るところが大きいことは違いない。原発稼働問題や消費税増税に対して世論の「主流派」の意見がとおらない選挙の結果に、暗然とした思いがする。「してやられている」という気がする。しかしそんなことばかりにこだわっていては先がない。

 今の結果がひとつの経過であって、またぞろ民意とのかい離で、あれこれの物議がおきてくるだろう。すでに公共事業で200兆円投資などと、自然破壊と生活破壊を伴う政策をやると公表している。そのまま見ているわけにはいかない。

 原発事故による人的被害、自然破壊はどれだけのものなのかもまだ分かっていない。金をばらまいて一部の企業グループの収益があがり、株価が上がればいいということにはならない。復興は、年金は、消費税は、TPPは、基地は、雇用問題は…。夢をもう一度懐に入れなおして、「実現の夢」を見ることにしよう。

2012年12月22日土曜日

記念切手のプレミアムの夢話と貧乏人

 40年も前の記念切手を、義母からもらった。20円のシートが大半で、50円のシートが3枚だ。プレミアがついているのではないかと、すぐよこしまな考えで、調べてみた。買い取りの業者をネット検索してみたら、業者がいくつかでてきた。サアいくらだろうとよく見れば何のことはない高くても81%という価格。16.2円程度ということだ。40%台という業者もある。

 説明では、大量に出回っているのに反して、コレクターは減っているという。だから早く売れと。プレミアどころの話ではない。郵便局でも交換するだろうと思って調べてみたら、切手一枚につき5円の手数料になっている。20円切手が15円の「資産価値」しかない。75%という価格になってしまう。さる業者に電話をしてみたら、そのシートでは45%が元で、15%の上乗せ中ですと返ってきた。60%では郵便局での交換の方がいい。

 結局20円切手は最高で16.2円分なので、郵便局と均衡していて馴れ合いみたいになっている。もっとも、郵政は「民営」だから当たり前か。買い取り業者へは新宿まで出ていく交通費も1.2円の差ではまかなえない。やっぱり郵便局を使うしかなさそうだが、5円引きはなんとしても癪だ。

 自分も小学生のころに一所懸命集めていたが、引っ越しを重ねるうちに行方不明になってしまった。宝物をなくした悔しい記憶を残していたが、今回の事件はその長年の悔しさを晴らしてくれることにはなった。せっかくもらった切手は、つりの会の郵送代としてありがたくいただいた。3枚張るのがちょっと手間だけど。結局のところ貧乏人は貧乏人の世界で暮らしているということだ。

2012年12月19日水曜日

酷過ぎる「小選挙区比例代表制」

 選挙制度が酷いものだということは、今回特に感じた。「小選挙区比例代表並立制」は480名の衆議院定数となっている。うち小選挙区が300議席、比例定数は180議席。小選挙区は比較第一党が当選できる。これを押さえておけば、自民党が大幅に議席を獲得できたわけは簡単に理解できる。このことでなにもびっくりすることはない。

 そのうえで、10%もの投票率の低下という条件があったわけだから、自民党が民主党の自爆のおかげで若干の上乗せで第一党の地位につくことができた。公明党と自民党等の「協力」、維新の党と公明党との「協力」で候補者調整をしたのだから、政策よりは選挙戦術という野合で議席をわがものとしたということだ。本来的には己の政党の政策が支持などという代物ではない。

 あまりたくさん議席をせしめたから、自民党自身がびっくりしたようだし、マスコミもびっくりという状況だった。しかしだから、こんな酷いことがわかりきっている選挙制度を知らせることをしないのだろうかと思う。選挙制度が民主主義の制度として、このままで置いておけないくらいのバランス感覚はないのか。

 こんな選挙制度にのっかって、底の浅い報道をしているから、10%もの投票率減を招いてしまった。投票先選択のための情報を、「不偏不党」の立場で公正に報道すべきだ。「若い人は政治に無関心だ」と切り捨てていたら、政治は成熟していかない。マスコミの露出度で選挙運動ができてしまうのでは、あまりにも皮相な選挙になってしまう。

2012年12月15日土曜日

横十間川、スカイツリーが見えるところで釣るハゼ


 はた目からは盆暗(やぼ)に見えるオカッパリでも、今話題のスカイツリーの足元を流れる川でハゼ釣りやるというと、話題にのっているようでおもしろいことだ。

 江戸時代には、この周辺の水路でもハゼ釣りが盛んだったことだろう。金と暇があるもの(旗本、大店の親父)が芸者と一緒に、盛んにやっていたハゼ釣り。その頃はゴカイもいただろうがキヂも、どこにも沢山いただろう。

 現在でも、ビルばかりせり出している臨海部のコンクリート海際、ちょっとした泥っぽいところでも、ゴカイがいる。エサがいるから、ハゼも繁殖して増えているわけだ。そこで釣り愛好者も楽しむことができる。まさに歴史の脈打たれた伝統文化という、昨日や今日の「成り上がり文化」とは違う格調のあるものだ。(言い過ぎ?)

 スカイツリーには、もう300万人を超える人が訪れたという。すごい人気だ。でもその足元でハゼ釣りをしていると知っている人は少ないだろう。スカイツリーのおかげで活性化して、「東武さん」の懐が裕福になったが、その割に地元では下から眺めてため息をついている人も多いということだ。


 下町の賑わいはスカイツリーでなくてはダメだったのか。経済効果が上がって、下町に金が落ちたのか。なにかが始まるときには「何のために、誰のために、どうして」くらいは、考えておくべきなのかなと思う。

左手奥にスカイツリーが見えた




2012年12月12日水曜日

釣り人の「ツぬけ」しない悩みなんか


 新幹線の座席に座ると、目の前の座席の網ポケットに「トランヴェール」という冊子が置いてある。この冊子の角田光代さんの書く、旅のエッセイがいつもおもしろい。先月号では、いつも誘われ側であるグループ旅の直前にメンバーが亡くなってしまった。だから旅はその人の話でずっと持ちきりになってしまった。出かけた旅先がなぜそこだったのかが、思い出せないと言った趣旨のことだった。

 エッセイだから長くなくて読むのが楽だし、作家と言うプロのなせることなので、すらすらと読ませてしまう。面白さは人によって受け止め方は違うにしても、こうやって読者を乗せてしまうマジックみたいな力が面白いと思う。ありふれた事柄が題材でも、楽しく読ませるという能力に尊敬以外の念は浮かばない。なんでも力を入れればいいというものでないということがわかる。

 この角田光代さんと、師匠の岡崎武志(書評家)さんの対談が赤旗(1126日)に載った。そのおしゃべりの中で、「書けない」という状態を抱えているということを話している。そこを突破するにはという師匠の言葉がやり取りされていた。ものを書くのも好きなことだからやるのだろうけど、やはりいつも簡単にできあがるわけではない。「突破すれば、次のステージへ」と励ましをうけて、頑張ると話しているのが印象的だ。

 この対談を読んだら、先のエッセイが軽やかに、さわやかにできていて面白いという感想は、悪戦苦闘でないにしても、苦労の中で生まれたのかもしれないと、思い直すことになった。

 その比で行くと、釣り師の悩みはだらしがない。悩むのはツ抜けしたかどうかくらいなもの。(「ツ抜け」とは釣りの慣用語。ひとつ、ふたつと数えて、九つまでは「つ」が言葉についていて、十(とう)になるとなくなるから、「ツ抜け」と表する)

 「おおい!釣れたかい?」という問いに、返事が「まだツが抜けないよ」と釣れない悩みをぼやく。10尾を超えないときは、なんとか頑張らねばと自分を激励し、あれやこれやの対策をかけめぐらせる。そしてようやっと抜けるとなにかほっとして解放されたような気になる。そんな程度の悩みだ。まあ、はた目からは苦労といえる代物ではない。

2012年12月9日日曜日

北朝鮮ミサイル三段目が見えるなら


 北朝鮮が「人工衛星用」のミサイルを発射する予定らしい。北朝鮮と日本との「話し合い」が予定されているのを見計らって「国威高揚」にでるということなのか。話し合いがうまくいかなくなるという判断はしないのか。どうもよくわからない。

 日本でも「憲法改正しろ」「自衛隊を国防軍に」などと刺激的な言葉が飛び出して、こうしたことも軍事力を示そうという誘因になっているかもしれない。それこそ軍事力強化にむかって「日本を取り戻され」たらえらいことになる。

 そのミサイルの3段目も韓国の衛星写真で撮ったものなのか、はっきり写って見えている。福島原発が爆発した時も、日本の衛星やアメリカの軍事衛星でもすっかり見えていただろう。全体像を目に触れないようにと「しっかり」と取り組んでいるのだろう。危機管理などまったくできていない、寒々しい政治だ。

 たまたまこのミサイル発射予告があった日に、災害時のライフラインの情報を知らせてもらうツイッターの登録をやってみた。総務省もあったので選択登録したが、ツイッターは情報が流れて行ってしまうので、携帯電話メールへの通知も登録しておいた。そしたら、その夜10本近くのメールが携帯電話に入った。
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【お知らせ】本日の北朝鮮による「人工衛星」と称するミサイル発射の発表に関し、総理指示が1835分に発出されました。①関係各国と緊密に連携しつつ、関係省庁間で協力して情報の収集及び分析に万全を期すこと。(続)
Kantei_Saigai (首相官邸(災害情報))
… … …
HP更新情報】大臣臨時会見の概要を掲載。北朝鮮によるミサイル関連について、自衛隊に対し必要な準備を行うための一般命令を発出。http://t.co/4jcuzSs0
bouei_saigai (防衛省)
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 北朝鮮のミサイル発射は「災害」なのかと言いたくなった。アタリはしないと言われている迎撃ミサイルをまた、準備するとのこと。すぐに携帯メール宛の通知は解除した。真夜中にこんな情報もらっても、対策の立てようもない。

2012年12月6日木曜日

つり仕掛けづくりも、創造となれば文化のうちかも


 新しいものを作り上げる面白みというのがある。だいだい、創造するなどという高邁なアタマも能力も持ち合わせていないから、本当のところはわからないが、つくるという脳の働きは、生きていく上で大切なはたらきのように思う。うまく作ることができれば、それは他者にとってはもちろん、自分にとってとても豊かな満足感をもたらす。いや多分もっと複雑なものなのかもしれない。

 そういう難しいことはさておくとして、ちょっとした工夫や思い付きでものごとが改善することがよくある。釣りでもしかり、釣りの仕掛けはおろか、ウキ、竿まで作ってしまう人がけっこう多い。直接の釣り行為でないつりの楽しみ方だ。そしてまあ、これも「てんぐ話」になるのだろうか、作ったものの説明をとくとくとする。いやこれは決して悪口ではない。

 造った仕掛で、幸いにして釣りの結果がよかったら、それは話さないでいられるものではない。だれだって「八つぁん」よりは「ご隠居さん」の方になって、教えてやりたいという気持ちを持つのが当然だ。教えてもらう方と言えば、これがまた素直に聞き入れる人もいるし、気難しく聞かいない人もいる。聞かない人は、やっぱり自分流のひととおりの確信があるのだろう。はた目で見て、素直に聞けば、もっと釣れるようになるのは間違いないのにと思うことはある。でもそれはそれ、人の気持ちにあまり踏み込むわけにはいかない。

 先日、ハゼ用のハリス附きの針をたくさんもらった。ハリスが40センチ~45センチも付いているから、短く切って使うと30センチ以上も捨てることになる。棄てるのはもったいないから、切ったハリスに別に針を付けて使っていた。ふと考えて、そのまま使える方法を思いついた。

 使ってみると、上下の針が絡むケースがあった。針と針の間隔をうまくとることが必要だった。針を錘から離れた位置につける二本バリは以前に考えた人がいた。そういう意味ではオリジナルではないが、「折り返して」造ったのではないと思う。上の針にかかる割合は多くないが、ハゼも飛び上がってエサを咥えることがある。多分「見せエサ」の効果はあるのだろうと思う。




2012年12月3日月曜日

イワナ釣れぬはダムのせい


…前回の続き
 昔のことを言い始めたら歳のせいということになるかもしれないが、イワナ釣りを始めたころは、自分の体力に見合った手近なところを選んでいた。車で現地まで行って林道を走り、たいして歩きもせずに釣ることができるところで楽しんだ。関東周辺は釣り人が多く入っていて、なかなか釣れなかったし釣り場の開発もなかなかできなかった。新潟、山形など関東圏から離れた方が、やはり自然が残っているので、釣る手ごたえが違っていた。釣りの本で紹介されたところを参考にして、岩手県にも通った。

 岩手県は渓流釣り場が多い。胆沢川もその一つだったから、名前は知っていたもののダム工事をしていると聞いていたので、行く先の対象からは外していた。「小沢一郎」の名前を知ったのはその頃だった。工事に関連する企業に割り当てまでして、相当献金を集めたらしい。自然を壊して懐を温める人間だとしてそれ以降ずっと頭の中にある。

 そのダムにいつか行って見てみようと、思っていた。それが実現したのが昨年10月だった。今日(123)試験湛水を開始したとのことだが、そのころ露わだったダムの全貌は、その大きさにびっくりした。前にブログにも載せたことがあったが、その写真を見直してみたら、自分の写真HPに載せていなかった。整理をしてHP更新(→虚鯊写真集)したが、これまであった石淵ダムをすっぽり呑み込んでしまう規模に、再び驚きあきれた。展望台とダムの周囲から見える広大な水域には、いったいどれだけの渓流魚が呑み込まれることになるのか。それにその区域周囲の自然体系はどれほど破壊されることになったのか。

 一昨日121日に、日本未来の党代表の嘉田由紀子滋賀県知事と小沢一郎氏の対談があった。そのとき「僕らの子供の頃は遊ぶものがなくて。冬はゲタでスケートをして、夏は北上川でフナとかナマズを釣って」いたと小沢氏が話したと書かれていた。北上川のフナではなくて、渓流でイワナ釣りをして遊んでいたら、ダムは造らなかったのかなと、愚にもつかないことを考えた。 
Livedoor news     


「日本で最初に施工開始されたロックフィルダムで、且つコンクリートフェイシングフィルダムであった石淵ダムはコンクリート遮水壁の劣化・沈下が起こっており、堤体を強化・安定化させるためにはダムの改造が求められるようになった」と記載されている。「石淵ダムは…堤体を強化・安定化させるためにはダムの改造が求められ」というのに、ダム底にまるごと沈めてしまうという「完璧な」方法をとったということになる。
同ウィキペディア
20093月、小沢一郎の資金管理団体が、胆沢ダムの洪水吐き打設工事などを受注していた西松建設から違法献金を受け取っていたとして小沢の公設第一秘書である大久保隆規が政治資金規正法違反容疑で逮捕されている。西松建設側の供述によれば、西松建設を含むJVが工事の一部を受注した際、受注直後脱談合宣言を受けて表立った選挙応援を控えていた同社盛岡営業所長は、大久保秘書から「最近協力的じゃねえじゃねえか。お宅らが取った胆沢ダムは小沢ダムなんだ。今後も協力してくれないと困るよ」と献金を強く要請したとされ、西松建設も「ダム受注のための献金だった」と東京地検特捜部に供述をしている。



2012年12月2日日曜日

カメの話


 岩手山麓はもう雪の季節が到来した。今年も真っ赤に色づいて楽しませてくれたドウダンツツジにも、しっかり縄をかけて雪に負けないようにしたし、裏口の北側にも板を打ちつけて雪囲いをした。

 何枚か立てかけてあった壁材の板を取り出したら、その間にカメムシが身を寄せ合って数十匹蠢いていた。米の獲り入れの後、カメムシが飛んできて越冬の場を探している。屋外に積んである暖炉用のマキの皮の間に潜り込むようで、くべる分だけ家に持ち込むと、置いてある間に部屋に飛び上がることになる。だから夕食時はテーブルの上に舞っているカメを退治するのがパターン化している。

 飛ぶのはあまり得意でないらしく、少し飛ぶとすぐにどこかに停まる。そのときが付け目で、洗剤を少し水に溶かして入れた瓶を近づけて、割箸で落とす。これが不思議にポトッと落ちる。飛んでいてつかまり損ねるか、払いのけられるとひっくり返って仰向けになる。多分背中の方が重いのだろう。で、死んだふりをするから、割箸を足元にくっつけると慌てて掴まる。それから洗剤瓶中に収まることになる。

 このカメムシ、去年の10月に今話題の小沢一郎氏が「政治力」で造ったと言われる胆沢ダムに行ったときに、出会った。ダムは建設中だったが、見晴らし台があって結構な人々が見学に来ていた。紅葉時だったという事情も手伝ったのかもしれない。その手すりやら柵やらに、びっしりとくっ付いていたから驚いた。気温が下がってきて、日当たりの暖かいところへと狙って溜まっていたようだ。


 このダムは小沢一郎氏が造らせて、関係の企業からタンマリもらっていたということを、従妹に話したら「そういえばカメに似ている」と結構過激なことをいったので笑ったのを思い出した。世田谷の土地処分の裁判では無罪判決となったが、その時の岩手放送では小沢一郎について辛口の視聴者コメントを紹介していた。以前のような「人気」はないものと見えた。

 しかしさすがの「政治力」で「未来の党」の仕掛人として一手を打った。昨日のニュースでは、達増岩手県知事の妻を口説いて未来の党から出馬させるということだ。小沢氏は新生党、新進党と立ち上げに働き、消滅をさせた人だ。嘉田滋賀県知事が「政治力期待」するというが、なにをしでかすのだろうか。

 消費税増税反対、脱原発の風をうける帆をたてたことは確かだが、自民党の田中角栄のもとで、金庫番と言われた人が、国民に寄り添った政治を目指す政治家に変身?それはないだろうな。この「亀」に乗ったら、行く先は亀まかせになることだろう。